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小夜時雨◆02「約束事」

四時間目のチャイムが鳴った。
お昼前の授業は、食べ盛りの高校生たちにとって空腹で一番集中力を欠く時間帯である。
クラスのほとんどが空腹で気がそれている中、扉側の最後列に一人だけ椅子の座る位置を落ち着きなく変えている生徒がいた。

「大丈夫?」

後ろの扉のすぐ隣に椅子を持ち込み、授業の見学をしている教育実習生の郁人が小声で声をかける。
声を掛けられたのはもちろん、昨日お尻を散々真っ赤に腫らすまで叩かれた花蓮である。
花蓮は郁人のほうを軽く振り返ると、何も言わずムッとした表情だけ見せた。
花蓮がじっと大人しく椅子に座っていられないのは、郁人のお仕置きが効いていると言うのだろうか、一晩過ぎた今もお尻に痛みが残っているので、痛くないところで座ろうとしているのだ。とは言っても、花蓮のお尻に痛くないところなどないのだから、その行為は意味を持たないのだが、同じ体勢で自分の体重をかけ続けるのがつらいので仕方のない行動なのである。

学校に真面目に通うと郁人と約束したので、授業も真面目に受けないといけないし、お尻が痛いからズル休みなんてもっての他だし、花蓮にはきちんと高校生活を過ごすしか選択肢が残っていない。

昨日のお仕置きの痛み、あと何日続くんだろう。
花蓮の頭はそのことでいっぱいだった。

昨日のお仕置きで、あと何日効果が持つのだろうか。
郁人の悩みはそこである。


──


「ねぇ今日どうしたの?朝から変だよ」

摩耶が心配そうに花蓮の顔を覗く。
昼休み、校内の中庭で花蓮は摩耶と並んでベンチに座っていた。
本当はお尻が痛くてつらいの、と言いたいところだが、完全放任主義の家庭で育っている摩耶に自分の話をしても引かれるだけなのじゃないかと思い、花蓮は少し悩ましい表情を見せながら答えた。

「…昨日ね、告っちゃった」
「えっ!本当に!?それって、こないだ言ってた家庭教師の人?」
「…うん、そう」
「それで?結果は?」
「うーん…もっと大人になれってさー」

花蓮は摩耶の膝を枕にしてベンチに横になった。
お尻の休憩をしたいのもあったが、人肌に触れたかった。
郁人に言われた言葉をうまいこと自分の中でまとめたのだが、お仕置きされる関係なんて、まだまだ子どもとしか見てもらえないのか…と花蓮は己の言動の未熟さに辟易してしまう。

「そっかー、何歳年の差があるんだっけ?」
「五つかな、大学四年生だから」
「私、高一のときに六つ年上と付き合ってたけど、男はみんなおこちゃまだよ。花蓮もすぐに追いつけるよ。待っててくれてるんでしょ?」
「多分ね。でもダメでもいいよ。久しぶりに会ったら、理屈っぽくって、なんか意地悪だったもん」

待ってくれてるのかな?

花蓮は摩耶には否定的なことを言いながらも、心の中で期待を残していた。

「とはいっても家庭教師なんでしょ?好きだと思わせといたほうが、優しくしてもらえるよ!」
「そうかもね〜」

優しく…してくれるわけないよね、と花蓮の諦めが笑いになって出てきた。
摩耶と考えていた夏休みの予定、郁人という保護者のような存在の家庭教師、どっちも両立させられるのには無理があるのは、誰から見ても明らかなので、花蓮の諦めの感情は仕方がない。
だが真実を明かされていない摩耶には、理解できないのも仕方のないことなのだ。
このすれ違いが、また新たな関係を生み出すことになるのだが、それはもう少し後の出来事となる。


──


昨日、郁人の部屋から帰る前に連絡先を交換した花蓮は、携帯から通知が来るたびドキドキしていた。
お尻の痛みは消えないまま、もう放課後になっていたが、郁人からの連絡も指示もなかったので、摩耶といつも通っているファミレスで世間話に花を咲かせている。
夕飯食べ終わって宿題持って郁人の部屋に行けば、とりあえず叱られることもないだろうと花蓮は安易に考えていた。

その頃、郁人の携帯には伊織からのメールが一通届いていた。


──


午後八時、秋月家のインターホンが鳴った。
すでに夕飯を食べ終わり、宿題とペンケースが入った鞄を用意してリビングで母親と話をしていた花蓮は、突然の来訪者に驚きを隠せなかった。

「いらっしゃい、久しぶりね!花蓮のお勉強また見てくれるように、伊織からお願いしちゃって悪いわね〜」
「いえいえ、伊織にはあっちで頑張ってもらいたいですし、花蓮ちゃん頭はいいから、やりがいありますよ」

…頭「は」いいから?
他は?
郁人が発する言葉の端々からイヤミを感じて、花蓮は叩かれてもないお尻が痛んできた。

「こんばんは。今からおうちに行こうと思ってたとこだけど、どうかしたの?」
「おー!伊織に荷物取ってきてくれって頼まれちゃってさ。ちょっと付き合ってよ。すぐ見つかるみたいだから」
「いいよ」

花蓮は郁人を連れて、二階にある伊織の部屋に案内した。

「相変わらず洒落た部屋だな」

輸入雑貨を扱う父親の影響からか、伊織の部屋は見せる収納を様々なアイディアで実践していた。
とことん物を隠して収納している郁人とは真逆である。

「そこの引き出しに入ってるブラシ取って」
「…ブラシ…マジで?」
「おう、マジマジ」

その引き出しに入っているブラシにはいい思い出がなかった。
花蓮はじっと郁人の顔を見つめて、表情で拒否を語ってはいるがその拒否は長くは続かなかった。

「ブラシは後でいいや。伊織から一個チェックして欲しいってお願いされてることがあるから、花蓮ちゃんの部屋を見せて」
「えっ?」
「今すぐ」

もう自分は諦めるしかないと腹をくくったのか、花蓮は暗い表情でゆっくりと引き出しから木製の柄の少し大きめなヘアブラシを取り出した。その足で伊織の部屋の扉を開くと、表情を変えず黙ったまま郁人を自室に招き入れた。
花蓮の部屋は…伊織の予想通り片付いているとは言いがたい状態だった。
制服はベッドの上に無造作に置かれ、郁人の部屋に行くためにどの服を着て行こうか選びながらファッションショーしたであろう服の山が広がっていた。

「はあ…その持ってるやつと宿題持って俺の部屋集合な」
「……」

花蓮は今にも泣きそうな顔で手に持っているヘアブラシを見つめていた。

「昨日の今日だ。泣かすつもりはないよ。安心して」

うつむいている花蓮の頭の上に手を軽く置いた郁人の声は優しかった。

「俺コンビニ寄ってから帰るけど、一緒に行くか?」
「…一緒に行く」

徒歩五分のコンビニでも、郁人と歩く道中は花蓮にとって嬉しいものだった。

「授業中、そわそわ落ち着きなかったけど、お尻まだ痛い?」
「まだ赤いもん…痛い」
「昨日頑張って我慢したし、今日は学校で真面目に過ごせたから、ご褒美にお菓子買ってやるよ」
「いらない!子どもじゃないんだし」
「本当に?いらないんだな?」

花蓮はすぐ買い物が終わると聞いたので、郁人の邪魔にならないようコンビニの前で待っていた。
聞いた通り、郁人はすぐ買い物を終わらせてコンビニから出て来たが、店の外に出た途端、買ったばかりの袋からアイスを取り出した。

「買い物付きあわせちゃったお礼で半分こな」

郁人はふたつに分けられるアイスを買ってきていたのだった。
花蓮は郁人からアイスの片割れを受け取るとにこっと笑顔を見せた。

「ありがとう」
「やっと笑った。笑顔可愛いんだから、もっと笑えよ」
「怒られてるときも笑ったら許してくれる?」
「叩く回数増やすわ」
「嘘ですっ」
「嘘なのか、嘘つきの悪い子はお仕置きしなきゃ」
「ムリムリ、もう郁人くんいじわるだよ」
「いじわるで結構。ほらアイス溶けるぞ」

五條家の玄関に着く頃にはふたりともアイスは食べ終わり、こわばっていた花蓮の表情に柔らかさが戻ってきていた。
郁人の部屋へ入るとさっそく、花蓮は宿題、郁人は残っている作業を各々進め始める。
二人で過ごしている時間が過ぎれば過ぎるほどに、先程の和やかな空気はどんどん薄れていった。
宿題を始めて40分。花蓮は丁寧にゆっくり進めていたが、大した難易度ではなかったので簡単に宿題は片付いてしまった。

「…あの」
「ん?宿題、終わった?見せて」

花蓮の宿題にざーっと目を通し

「よし、お疲れ」
「…はい」
「帰るのはもう少し待って。俺ももう少しで終わるから、それまでこれに伊織と約束してた事項書いてて」

花蓮にルーズリーフを一枚渡すと、郁人はパソコンと書類が広がっている机に戻っていった。
伊織との約束事…。
今更嘘をついても、兄が郁人にすべて話しているであろうことは、昨日のやりとりで意味がないことは重々承知している。
花蓮に残された選択は、素直に郁人の指示に従うことである。
気が進まない中、花蓮は記憶を辿りながら兄との約束事を書き出していく。

「…はあ」

思わず出た花蓮のため息は、自分の予想より大きく声になってしまっていた。

「書き終わった?」
「…多分」
「オッケー、俺の作業もう終わるからそれまで休憩してて」
「はあい」

休憩と言われてもやることがないので、携帯をのぞくと摩耶からのLINEが来ていた。
土曜日に遊ぼうというお誘いの連絡だった。
摩耶と遊ぶのは楽しみだし連絡も嬉しいのだが、心が晴れないのはお尻が腫れているからだろうか…。
と一人でオヤジギャグをかましていたあたりで、郁人の作業が終わった。

「花蓮ちゃんそれ見せて」

花蓮が書き出した約束事は、伊織から聞いていた内容とほぼ変わらなかった。

「俺ともこれと同じ内容を約束してほしい。できる?」
「…はい」

花蓮に拒否権などなかった。

「俺、伊織から聞いてたみたいにキツくお尻を叩いたことないけど、花蓮ちゃんのために心を鬼にするから」
「うん」
「じゃあ、部屋を散らかしてた分だけお仕置きするよ」
「えっ今日は泣かさないって言ってたじゃん!」
「俺との約束はしてなかったから、回数は少なくするよってことだよ。ほら、さっさと来なさい」

まるで騙された気分だったが、ここで文句を言っても自分のお尻が痛くなるだけなので、花蓮は大人しくソファーに腰掛けた郁人の膝に腹這いになった。

「今日はいい子だね。30回叩くから数えること」

ショートパンツと下着を一気に膝まで下げられて、まだ赤みの残っている花蓮のお尻がむき出しになった。恥ずかしさで花蓮は息を呑んだ。

「返事は?」

バシッ!

軽めの平手が打ち落とされた。

「っはい…」
「じゃあいくよ」

バシッ!バシッ!バシッ!

郁人の手の振り上げ方、スナップから明らかに昨日より加減をしているのがわかる。
手加減されていても、痛いものは痛い。
ましてや昨日のお仕置きの痛みが残ってる上から叩かれるなんて、花蓮にもあまり経験のないお尻叩きである。
回数を重ねるうちにカウントする花蓮の声はつらそうに聞こえてきた。もちろんつらそうな声を出したところで、これ以上手加減をするつもりのない郁人には関係のない話である。
宣言通り30回きっちり叩き終わると、花蓮を膝から下ろし床に正座をするように促した。

「伊織の部屋から持ってきたブラシ出して」

花蓮は言われるがまま、カバンに入れて持ってきたヘアブラシを出して郁人に手渡した。

「今日はいい子だったから使わないけど、このブラシは俺が預かっておくね。俺がこのブラシを使わせないように、約束は守ること」
「はい」

あのヘアブラシでお尻を叩かれる覚悟をきめていた花蓮は、郁人の言葉で一気に気が抜けて、そのまま前のめりに郁人の膝の上に頭を倒し、両手で腰に抱きついてしまった。

「そのブラシ大嫌い」

そうつぶやく花蓮の頭を郁人は優しくなでた。

花蓮とそのヘアブラシには伊織とのエピソードがある。部屋を片付けていないときは、いつもブラシでお仕置きされていた。
元々は父親からのお土産のひとつで、ブラシ部分が男の人が手の平を広げたくらいの大きめのヘアブラシである。
部屋が散らかしっぱなしを咎めて何度お仕置きしても、口答えして無視をする、反抗期真っ盛りの花蓮が中学一年生のころの出来事。
両親不在の日の日曜の朝、なかなか起きてこない花蓮を起こすために部屋に入った伊織は、服や雑誌が床に散乱しているところを避けながらベッドに近寄ろうとしていると、ヘアブラシが床に転がっており、足に軽い怪我をしてしまったのだ。

「あー伊織が怪我して試合に出れなかった日か。そりゃ怒るだろ」
「床にほっといて髪をとかしてもらえない仕事のないヘアブラシが可哀想だって言われて…私のお仕置き用にされちゃって」
「髪をとかすより、こっちの木の面で叩かれることのほうが多かったわけだな」
「すごく痛いし、何日も椅子に座るのつらくなるの」
「痛くされないと片付けないんだろ?」
「ちがうもん!ちゃんと出来ますぅ」
「ま、抜き打ちで部屋見に行くから、約束は守ってね」
「…ぅ、うん」

花蓮と郁人の中で結ばれた約束事。
あと二週間半もある教育実習期間に、その後待ってる期末テスト。そして夏休み。

今までのような甘えた生活を送っていると、自分のお尻がいくらあっても足りないだろう。郁人から嫌われたくないし、花蓮は気を引き締めていくしかないと、覚悟をきめたのであった。

花蓮には自立して考えられるような人間になってほしい。
自分も親から学費を出してもらってる立場ゆえ、考え方や行動には目的をはっきりさせるのが学生にとって大事なのだと、痛感することが多い。

「妹ができたみたいな気分だ」

郁人は優しく花蓮の頭を撫でた。
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