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夕立

約束◆02「弱点」

突然の雨にいい思い出はない。
せっかくセットした髪も濡れてしまえば風呂上がりと変わらない。
最悪なのは化粧まで落ちてしまい。微妙に残ったアイシャドウやアイライナーが目の周りでにじみ、化粧直しをしようにも、一度全てのメイクを落としてから、やり直したほうが良いのではないかと思うくらいの豪雨に見舞われたときだ。
夏で熱くなってしまったアスファルトを一気に冷ます夕立は、悪いことだけではないので嫌いになれない。

突然の思いつきで始まった、二人の生活は予想外にもうまくいっていた。
メイコはどちらかといえばズボラな性格で、気を遣うタイプのユウリとはお互いに気にならない距離感で過ごせていた。

「メイコさん、おかえり。水買っておいたから」
「ありがとう!助かる」

帰宅してすぐの疲れた表情と、返事の明るさは真逆の反応だった。自炊をすることもなく、必要最低限をコンビニで買うだけの生活を送っていたメイコだが、ユウリのおかげでそんな堕落したメイコよ生活にいい変化がみえるようになってきた。

「わー!ご飯!」
「常連さんだから、食生活知ってたし、さすがにあの食生活は良くないと思って……」
「そんな食生活送ってて恥ずかしいけど、この料理は嬉しい」
「なんで自炊しないの?」
「昔はしてたよ。でも一人分なんて作るより買ったほうがいいじゃん」
「確かに。二人分になると作り甲斐あるよ」

テーブルに並んだ料理は、リーズナブルで簡単に作れるものが並んでいた。ユウリもそんなに力をいれて作ったわけではないので、メイコの喜びっぷりに少し驚きながらも照れた顔を見せた。

「あっ!ビールがない……」

ユウリの手料理にルンルン気分のメイコは、冷蔵庫を開けて悲鳴にも似た悲しい声をあげる。

「さすがに未成年は酒の買い置きできないよね」
「さすがに未成年はねぇ」
「成人しても買いませんけど」
「え、そうなの?」
「俺が冷蔵庫にビール買い置きしはじめたら、メイコさん俺頼みになっちゃいそうだし」
「ははは、わかる」

そんな会話をかわしながら、メイコは手早く部屋着に着替えて、胸まである髪はシンプルにひとつにまとめる。ユウリは盛り付けたあとのすでに使われたフライパンやボウルを手際良く洗い、食後の片付けの負担を減らすよう、先に片付けているようだ。

「ユウリくん、料理上手なんだね!」
「まあね」
「店では調理してないのに、どこで覚えたの?」
「ちょっとね」

ただの世間話程度の話題なので、メイコは深く考えずにユウリに問いかけるが、彼ははぐらかす。

「あー女か。そうだよね、彼女くらいいるよね」

うんうんと自分の発言で、勝手に納得するメイコ。
そんな彼女の考えは大きく外れたのか、ユウリは一刀して言う。

「いや、女ではない」
「じゃあなに?」

料理を作って出迎えてくれた、さっきの暖かいムードから、少しピリッとした空気に変わっていたが、そんなユウリの反応が物珍しかったので、メイコはつい深入りしてしまいたくなった。

「ナイショ」

メイコの好奇心は、店でもよく見かけていたので驚きはしなかったが、これ以上の深入りは望んでいなかったので、ユウリ上手く話を終わらせるためにニコッとメイコに微笑みかけた。
つまらないという感情が顔に出ていたメイコだが、人には話したくないことが1つや2つあるものだと、自分を含め知っているので、ここは大人しく黙ることにした。

「明日、俺仕事だから」
「あ、そうだね水曜だし」
「こんなメシで良ければ、メイコさんの分も作っておくよ」
「いいの?助かる!」
「色々お世話になってるし、お礼だから」

放っておいても、なんとか一人で生きていけそうな空気を漂わせるユウリだが、与えられたことに対して感謝の気持ちを見せる行動は、彼の中で何が動いているのかもしれない。メイコには予想もつかないが、嬉しく感じてはいた。


──


メイコの夕食に用意されていたのは、トマトとバジルの冷製パスタ、チキンと野菜がたっぷり入ったコンソメスープ。
バジルはまだ育ちきっていない柔らかな食感で、パスタは作ってから時間が経ってもおいしいように、オイリーにしあげてあった。
いつもより帰宅が遅かったので、遅い夕飯となったが一人で食べる夕飯はやはり少し寂しい。そう多いながら食べていると、いつの間にか用意されていた夕飯をすべて平らげていた。

「ふぅ……ごちそうさま」

メイコは一人分の食器をキッチンのシンクに運んで、残っている洗い物をあわせて片付け始めた。
ユウリは週3で駅前のイタリアンで働いていて、それ以外の日はほとんど家にいるのでメイコが完全に一人になる時間はかなり少ない。もともと一人が好きで一人暮らしを続けているわけじゃないので、人がいるというだけでそんな寂しさも和らぐ。

時計を見るメイコの表情はストレスなのか、イライラが見える。ソファに座ってテレビを見ているように見えても、しきりに時計を気にしている。

「遅い」

時計を見たあとはスマホを確認する。その行動を数分おきに繰り返していた。
現在午前1時半。
ユウリが普段、帰ってきているはずの時間はとっくに過ぎている。
はぁと大きくため息をひとつ。深夜のリビングにはテレビから聞こえるバラエティの笑い声と、自分の大きなため息が響くだけだった。
帰りがいつになるかわからないユウリを待ちたいと思う気持ちはあるが、明日の仕事に影響があると困るので、ここは一旦諦めて施錠をしっかりと確認し、一人で床につくことにした。


朝目が覚めて、いつも通り顔を洗い歯を磨き、ヨーグルトを食べたが、ユウリの姿はなかった。

どういうことなんだろう。
うちが嫌になったのかな。
また一人になるのか。

朝からネガティブな考えがよぎるが、社会人はそんなことを言ってはいられない。それなりに経験を積み重ね、女であることを不利だとは思わず仕事をこなしてきた自分には、こんなことは大したことではない、メイコは自分自身に言い聞かせた。

「はぁ」

とは言え、大きなため息は出てしまう。
結局深夜の2時頃までユウリを待っていたので、睡眠不足の顔はなかなかひどいものだった。

「……ブス」

メイコは思わずつぶやく。鏡に写った自分の姿は、悲しいくらいに年齢を重ねているのがわかる。
ため息ばかりついても仕方がないと、いつものように化粧をはじめ、いつも通りに準備をする。
少し頭がぼーっとするが、朝は職場でコーヒーを飲んでから目を覚ます習慣になっているので、そのまま服を着替え靴を履く。
玄関の扉をあけようとしたときだった。
何かが扉をの前にひっかかって、途中までしか開かない。

「え、なんで」

何がなんだかわからずパニックになりながらも、メイコは思いっきり体重をかけて扉を押した。
ガンという音とともに

「って」

という声が聞こえた。
メイコは眉をひそめた怪訝な表情をする。

「……ユウリくん?」

まさかと思いながら、さっきよりは動かせるようになった扉をあけた。
そこには何にも囚われてないような、無垢な表情ですやすやと眠るユウリが転がっていた。
寝ているというより転がっていると言ったほうが正しい。
そういい切れる見事な寝方だった。
メイコはイラッとしながらも、とりあえず起こさなければと思いユウリに近寄ってみる。

「ユウリくん、ねえ、起きて!」

ユウリの体をゆさゆさ揺らしながら、声をかけてみるがあまり反応がない。
いやいや、そんなわけないでしょう。と思い、メイコは出せるだけの力を出し、思いっきり揺さぶってみた。

「ん」
「ん、じゃないでしょ!起きなさいぃぃ!」

メイコは少し反応を示したユウリの両頬を思いっきり横に広げるようにつまんだ。

「いたい……」

メイコは思いっきり引っ張っているつもりだが、ユウリは眠気に勝てなかったのか目をつむったまま呟くと、メイコの手を振り払い、玄関前にも関わらず華麗に寝返りをしてみせた。

「はぁ……とりあえず家に入りなさい。私は仕事行ってくるから」

手を枕代わりにしてうつ伏せ状態になっているユウリの尻をふりかぶった平手でバチンと叩くと、メイコは立ち上がり仕事に向かうためその場を去っていく。

「いたい……」

思いっきり綺麗に平手打ちが決まったらしく、ユウリは意識が戻るくらいに目が覚めたようだ。
目が覚めただけであって、まともに動けるほどではなかったようで、すくっと起き上がるとのそのそ動いてメイコの家に入りそのままソファで寝てしまう。


──


「さて、今朝のあれはなに?聞かせて」

メイコの機嫌をとるかのように、少し手の込んだ料理を並べた食卓に少し冷たい空気が流れ込む。

「うーん……」
「心配したんだよ、理由くらい言ってよ」
「心配かけたのは悪かったと思ってる」
「本っ当に!心配したの!!」
「ごめん」

普段はニコニコしているイメージのあるメイコが感情的になって、自分を心配していると頬を紅潮させ話す姿は、ユウリにとって強いインパクトを感じた。

「昨日はね、飲まされたの」
「飲まされた?未成年なのに?」
「あと3ヶ月で成人なんだから、堅いこと言わないでよ」
「それは……無理かな」
「まあ、別にどっちでもいいんだけど」
「飲んだら玄関の前で寝るのに、どっちでもいいわけないじゃない」
「俺、超酒弱いの」
「はぁ……」

話を聞いてみると、昨日店を閉める前に常連の酔っぱらいに帰らないとごねられて、ユウリが飲んだら帰ると追い込まれたらしい。その常連はカジさんと言って、少し面倒な性格をしていてメイコはあまり得意ではない。むしろ苦手で、彼が酔っていると感じるとさっと勘定を済ませて帰ることもしばしばある。

「カジさん、私も苦手」
「俺も」
「でもちゃんと断りなよ。二十歳になってお酒飲めるようになったら、どんどん飲まされちゃうじゃん」
「そうだよね……」

メイコも流されやすい性格だが、歳を重ねている分いろいろな経験で逃げられることを知っている。ユウリも流されやすいと感じ取ったので、とりあえず断ることをアドバイスする。メイコの言うことにユウリは、うんうんと頷いているので、彼女のアドバイスは聞き入れているのだろう。

「あと」
「うん」
「未成年が飲んじゃダメ!」
「へー、メイコさんそういうとこ厳しいんだ」
「私も昔、それでやらかしたことがあってね……」


──


「未成年が酒飲んじゃダメだって、こないだ叱ったばかりだけど」
「だって、みんな飲んでるのに、私だけ飲まないのはあり得ないじゃん!」
「悪いと思ってないってこと?」
「でもさぁ」
「でも?」
「素直に謝りもしないなら、今日は厳しくする。今すぐブラシ持って寝室においで」
「え、ブラシ無理」
「数増やされたいなら、好きなだけごねていいよ」
「待って……聞いて」
「未成年がお酒飲んでいい理由なんてないから聞かない」

高めの位置にひとつ結びにしたポニーテールが揺れる。
ベッドに腰掛けた彼の膝の上に腹ばいになっているメイコは、首を横に振って嘆いていた。

「お仕置きやだ、痛いもん」
「メイには痛いお仕置きじゃないときかないでしょ」

かなりの攻防戦があったのか、メイコの両手はタオルで縛られていた。それでも逃げ出そうとしたのか、スカートの上からバシンバシンと平手が落とされていた。

「もう許してよぉ……二十歳になるまでお酒飲まないからぁ」

膝の上で足をばたつかせながら、メイコは泣きそうなふりをして謝っている。

「そんな嘘泣きしても無駄だって。泣いても許さないから」

彼はメイコのスカートをまくりあげ、一気に下着を膝までおろす。買ったばかりのおしゃれで高価ショーツを無駄にしたくないというメイコの乙女心を読んでいるのか、一気に脱がさずに膝で止めたのは、足をばたつかせないようにするためらしい。すでに叩かれているお尻は少し赤みを帯び、薄ピンクのような色を見せていた。
平均的な体型のメイコと比べかなり大柄な彼は、メイコの体をたやすくがっちりと押さえ込む。
メイコの腰をぐっと押さえると同時に、振り上げた手がメイコのお尻めがけてバッシィンと大きな音を立て打ち込まれる。

「あぁっ!」

メイコは声をあげ、大きく頭をはねさせた。彼の1打はメイコのお尻に綺麗に手の痕をつけている。
この調子で2打3打と、手をゆっくり振り上げて落とすペースでお尻叩きは続く。

「やだぁ……もおおぉ……むりぃ……」

すでにもう100回はこえているだろうか、メイコのお尻はまんべんなく赤く染まり、叩かれている本人はアルコールの影響もあって額にかなり汗をかいている。
頬を伝う液体は、汗か涙かわからないようなとても悲惨な状態になっていた。
彼は叩く手を止め、赤く腫れたメイコのお尻を撫でて確認をしながら言う。

「ちゃんと反省した?」
「したしたぁ」
「じゃあ最後にブラシで10回。数えなさい」


──


「次こんなことしたらお仕置きするからね!」

なんてユウリに言ってみた。
メイコは記憶が一気に蘇るのが、少し怖く、少し懐かしい。
過去は過去に置いておこう。
そう思えたのはあの頃から数年経ってからである。

夕立◆01「突然」

ちょうど日付が変わる頃、駅前はさまざまな人であふれかえっていた。
終電に乗るために酔いどれの千鳥足をうまく動かし駆けていく人や、終電ギリギリまで働いていたのだろうか、顔色に血色がなく、着ているスーツはくたくたになっているサラリーマン風の人、楽しい飲み会だったのだろうか陽気に鼻歌をうたいながら家路につく人。

この鼻歌をうたいながら歩いているのは、オフィスカジュアルと言われるような、きっちりとはしていないブラウスにロングパンツ、少し張り切ったであろうブランドバッグを持つ、いわゆるアラサー世代の女性。今日は職場の女子会という名の飲み会で、ちょっといいお肉とワインで良い気分に酔いがまわっているらしい。いつもより遅めの帰りだが、駅の人通りは多く防犯を気にするほどではない。馴染みのイタリアンの店の前を通ると、今日もかなり人が入っているようで外まで笑い声が聞こえてきた。
ここのイタリアンは週に2回は通っているので、笑い声だけで、なんとなく中にいる他の常連さんが予想できる。さすがに満腹なので、少しの買い物をコンビニで済ませて帰ろうと道なりを進む。

煌々と光るコンビニの看板が近づくにつれ、人気が少し減ってきた。この駅周辺は飲食店が多く立ち並んでいるが、少し道を入れば住宅地となる。
突然ドンッと大きな音が道沿いにあるマンションを囲っている塀の裏から聞こえた。
何か大きなものが落ちたような音だったので、もしかして非常事態かと心配しながら、彼女は塀に近づいていく。ガサガサと植木や草を踏み分けるような音がしたあと、黒い人影が目の前に現れた。

「ひぃ!」
「うわっ」

その黒い人影と彼女はお互いを驚きあったようで、ほぼ同時に声をあげた。
彼女はほろ酔いなので普段より恐怖心が薄れており、不審者丸出しの黒い人をまじまじと見つめていた。
少し眉間に皺を寄せながら、何かを思い出そうとしているの
か、うーんと首を傾げる彼女。

「ユウリくん?」
「メイコさん?」

黒い人影は、頭までパーカーのフードをかぶっていた若い男で、どうやらふたりは知り合いのようだ。
こんな場所で会うなんて思ってもない二人は、突飛な出会いに互いの姿をただ見つめていた。

「メイコさん、酔ってる?」
「女子会行ってきたから」
「暗いし、家まで送るよ」
「大丈夫だよ、いつも帰ってる道だし」
「女の子なんだから、こういうときは聞いてよ」
「そう?じゃあお言葉に甘えて」

ユウリと呼ばれた男は、幼さが抜け切れていない10代後半独特の初々しい表情でメイコに話しかける。その表情とは似合わず、声は低めで、抑揚のない話し方がとても特徴的だ。

「コンビニ、寄る」
「オッケー」

酔いが抜け切れていないメイコは、幼い少女のような口調になっているが、もともと少し童顔なせいかあまり違和感はない。
メイコがコンビニに入ると、ユウリは

「俺、外で待ってるから」

と、一言声をかけコンビニの外で待ちはじめた。
メイコは、いつものミネラルウォーターと500mlの牛乳、フルーツヨーグルトを手に取りさっさと会計を済ませる。

「おまたせ」

メイコがそういうと、ユウリは黙って足を踏み出す。

「あそこで何してたの?」
「ん?」
「あの大きな物音、ユウリくんでしょ?」
「あぁ……あそこに住んでるだけ」
「んん???」 

ついさっきの記憶をたどるだけなのに、アルコールのせいではっきりしないメイコは、少し不思議そうな顔を見せた。

確かユウリくんと遭遇した場所は……マンションの裏手で、玄関口とは真逆の場所だったような……。あれ?記憶ちがい?

「ベランダだけ借りてる」
「んんん???」

ますますワケがわからなくなったメイコは、とりあえず自宅のマンション前まで送ってもらったし、お茶でもしないかとユウリに声をかけた。
時刻は日付が変わって真夜中。

「俺、男だけど。いいの?」

ユウリは突然の誘いに一応確認をしてみる。
酔っ払いであれ、後から面倒なことになるのは避けたい。

「10個も年下は男だと思ってないわよ」
「……そか」

メイコはわざと年上ぶった表情をみせ、さっきまでの幼さは一気に消えた。
なんだ、ただの酔っ払いかと、そんなメイコの単純さにユウリはクスリと笑ってみせた。

「ベランダだけ、借りてると?」
「そう」
「それって借りてるとは言わないんじゃ……」
「なんとなく、そうかなって思ってるけど、俺行くとこないし。仕方ないじゃん?」

経緯はこうだ。
元々は、そのベランダの家に居候していたらしいが、その家主が三ヶ月の短期留学をすると突然言い渡され、ベランダなら住んでいいよと言い残し、日本を発ってしまったそうだ。
自宅のソファに座りながらお茶を飲んでいるので、酔いもだいぶ覚めたメイコだが、一度聞いただけでは何の話なのかあまり理解ができずにいた。

「携帯の充電とかはどうしてるの?」

まず思いついた質問が携帯。次に洗濯やお風呂。
あまりいい環境ではなさそうなので聞くのがためらわれたが、10歳も年下の子が可哀想な環境に追いやられているのは見ていられないと感じてしまう。

そんなメイコの心配はユウリに伝わっているのだろうか、ユウリは少し眠そうな目でメイコの質問に適当に答えている。

「うーん……」

彼に身寄りがないのは以前、聞いたことがあった。
あまり他人事に口を挟まないようにしてるメイコは、今日はじめて聞く話ばかりで驚くしかできなかった。
ユウリとメイコは駅前のイタリアンの店員と常連の関係で、ある程度は互いに知っているものの、ユウリがひどい環境で過ごしているとは、メイコをはじめお店のオーナーも知らなかった事実らしい。

「だって話したら心配するでしょ」
「当然心配するよ」
「だから言わなかった」

そう話すユウリの表情は暗くも明るくもない。誰からも気にかけてもらいたくないような、淡々としたものだった。
そんな彼の姿は、ダンボールに入れられて河原に捨てられている子犬が、殊勝にも寂しい表情を見せないようにしているような、放っておけば一瞬で消えてしまいそうな儚さがみえた。
メイコは両手をあげ、あくびをしながら大きく伸びをする。

「とりあえず、うちに泊まりなよ」
「いや」
「放っておけば、そのうち通報されて警察に捕まっちゃうじゃない」
「……それはありえる」
「なら、布団出すの手伝って」

メイコは強引にユウリの腕をつかみ引っ張っていく。
この好意に甘えるのがいいのか悪いのか、ユウリはわからなかったが、自分の話を聞いて悲しそうな顔をするメイコの表情に少し惹かれていた。
リビングに布団を運び込むと、メイコはふぅと一息する。

「私寝るけど、適当にそのへんのもの使っていいから。お風呂も入って。あ!エッチなことはナシね!」

最期の部分をかなり強調してユウリに投げ掛けた。
ユウリはその強調した言い方が、可愛く感じたのかアハハと笑う。

「10個も年上なんでしょ?さすが大人の女、言うことが違う」
「じゃあお子様はさっさと寝てね、おやすみ」

ユウリのからかいには大した反応もみせずに、メイコはさっさと寝室に入ってしまった。
つまらなさそうな表情を浮かべながら、ユウリも眠気には勝てず大きなあくびをした。


──

誰かとひとつ屋根の下で過ごすのはいつぶりだろう。
ずっと自分が避けてきていた、人のぬくもり。
今まで当たり前にだったものが突然崩れ去ったとき、人はまた同じ環境を望むのだろうか。
また同じ環境に戻れることなんてあり得ないのに。
そんなことは頭で理解している。
心が理解してくれないのだ。
悲しいほど、寂しい。
時間は残酷なほどに簡単に過ぎ去っていく。
私はそんな時間に追いつけずに歳を重ねている。
ずっと、あのときで止まっている。


──


「遅い」
「あれ、今日は泊まりだって……」
「早く仕事終わらせられたから、キリのいいところで帰ってきたんだよ、メイと一緒にいたいから」
「私も一緒にいたい!嬉しい!」
「オレもそばにいられて嬉しいけどさ、酒くさい」
「え」
「え、じゃない」
「いや」
「いや、なに?」
「……」
「約束したよね」
「……」
「黙ってたら、メイが痛い思いするだけだよ」
「……ごめん」
「なにが」
「バレないと思って……お酒飲んだ」
「へぇ」
「……」
「メイはそんな簡単に約束やぶるんだね」
「違っ、そんなつもりは」
「でも事実だよね?」
「ちょっとくらい、いいじゃん」
「ちょっとかどうか一緒にいなきゃわかんないだろ。だから、オレと一緒じゃなきゃ飲むな約束したんだろ」
「だって……」
「もういい。言い訳したいならしたいだけすればいい」
「ちょっと、やだ。お尻やだ」
「約束やぶったんだからお仕置きだよ、おいで」


──


寝苦しい夜だった。
夢なんて久しぶりに見た。しかもあの記憶なんて。
懐かしいけど悲しい。

メイコは時計を確認し、まだ夜中だと知る。
物音を立てずにキッチンまで行くと、リビングで寝てるユウリの姿が見えた。どうするつもりでもない勢いで泊めた理由があるのかもしれないと、自分に疑問を抱きだから冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しグラスに注ぐ。
寝汗をかいた後だから、いつもより喉を通る水が新鮮な刺激に感じた。