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小夜時雨

小夜時雨◆06「少し遠くて近い記憶」

私には4つ違いのお兄ちゃんがいる。
勉強もスポーツもできて、妹の私が言うのはおかしな話かもしれないけど、とってもモテるらしい。正義感も強くリーダーシップをとるタイプで、学校でお兄ちゃんを知らない人はいないくらいの人気があった。
中学にあがったばかりの頃は、あの秋月先輩の妹と注目されて騒がれたこともあった。のかな。
お兄ちゃんを羨ましがる声なんてしょっちゅう聞くけど、妹の私からすると、ただの口うるさいお兄ちゃんなんだよね。「門限は守れ」とか「無駄遣いするな」とか、本当にうるさい。せっかく中学生になったのに自由にさせてほしい。

自由にしたい。遊びたい。

そんな欲求が少しずつ溜まっていき時間だけが過ぎていった。
自分の気づかない間にその欲求は、とても大きな塊になったみたいで、私の中で一種の原動力としてその塊を分散させる方法を考えていた。

「夏休み……!」

そうだ、夏休みじゃん。
私が中学生にあがってから、ママは私とお兄ちゃんを置いてパパの住むアメリカに行くことが増えた。私たちが夏休みの間にも、1週間に渡りパパの元に行くらしい。ママからは一緒に行こうと誘われたけど、私は私で友達と遊ぶ予定があるし、いろいろとやりたいこともあるので断ってしまった。もちろんお兄ちゃんは部活があるから行かないと言うことで、ママは少し寂しそうな表情を見せた。未だにラブラブなパパと会いに行けるのだから「私たちに気を遣わなくてもいいじゃん。行ってきなよ」と笑顔で見送った。
私のその笑顔には理由がある。もちろん……!!


──


「花蓮、門限守れよっていつも言ってるだろ」
ママが不在になった初日のことだった。いつも部活の帰りが遅いから、今日も遅くなると思うじゃん?まさか私より早く帰ってくるとは思わないじゃん?
「ごめん」
「夏休みだからって気を抜きすぎ」
「……」
「朝も何時に起きてんだ?夜更かしばっかりして」
「ごめん」
「母さんもいないんだし、心配かけるようなことするなよ」
「はーい」
お兄ちゃんは少し眉間に皺を寄せながら、くどくどと一生懸命に私に語りかけてくる。結局私は話半分も聞いていたのか、自分でもよくわからない。とりあえず、はいはいと返事していたら、お説教は終わるはず。
「話聞いてるのか?」
「うん、聞いてるよ」
「なら次、約束やぶったらお仕置きな」
「…はぇ?う、うん」
やっばい!お兄ちゃんよ話、適当に聞きすぎたのかな。なんの話かわかんなかった。
まあ、お説教が早く終わったからいいや。


──


「昨日、俺が話したこと忘れた?」
さすがにお説教された次の日は早く帰ってこないだろうと考えて、門限を1時間過ぎた20時に玄関の扉を開けたら、目の前に腕を組んで仁王立ちになってるお兄ちゃんがいた。
「それとも、なんか理由でもあるのか?」
「……特にない」
またお説教かと思うと、ついため息が出てしまう。そんな私のため息と同じタイミングで、お兄ちゃんのため息が漏れたのが聞こえた。
その時だった、お兄ちゃんら私の右手首をぐっと掴んで部屋の中に引き入れようとした。
「ちょっと!靴、脱げないじゃん」
「待っててやるから、早く脱げよ」
あまりに強く腕を引っ張るから、私は半分キレながら言ったのに、お兄ちゃんは冷ややかな表情は少し怖い。靴を脱げと言いながら、私の右手首は掴まれたまま離すつもりはないらしい。
私は左手と足だけでどうにか靴を脱いだけど、玄関に飛ぶように左右の靴はバラバラに転がっていった。
「ちょ、ちょっと痛いって」
思いっきり引っ張られている右手首が痛くて肩が抜けてしまいそうだ。
「俺、思ったんだ。昨日今日でこれだろ。言っても聞かないなら、実力行使したいところだけど、俺にも予定があるし、逐一見張るなんてバカバカしいことするつもりもない」
「はなしてよ!痛いってば」
私がしびれをきらして、右手首をつかむお兄ちゃんの左手をぺしぺし叩く。まったく動じないお兄ちゃんは、私に言い聞かすようにゆっくりと口を動かしている。
「母さんが不在の今、俺が花蓮の保護者だろ」
「お兄ちゃんだってまだ高校生じゃん」
「関係ないね」
「門限やぶったこと、なにも反省してないみたいだし、お仕置きな」
お兄ちゃんはそう言うと、リビングのソファまで私を引きずる。そのままソファに座り、私の手をぐいっと引っ張って、無理やりお兄ちゃんの膝の上に腹ばいとなった。
私は何がなんだかわからずに、思わず周辺をキョロキョロと見回す。
そんな私の驚きを気にすることなく、お兄ちゃんは花柄の白いワンピースの裾をペラっとめくる。
「ちょ、なに?ヘンタイ!!」
「お仕置きだって言ったろ」
「だってパ……パンツみえてるし」
「だからお仕置きだと」
「ま、まさかお尻叩くとか?」
「よくわかってるじゃん。ガキのお仕置きはおしりぺんぺんだって相場が決まってる」
「私もう中学生だよ?子どもじゃないもん」
「だったら約束守れ」
「これからは、そうするから。お仕置きはナシにして」
「やっぱりちゃんと躾とかないと、調子乗るんだよな」
まったく会話が成り立ってなくて泣き出しそうになる。
もう中学生なのに、お兄ちゃんからお尻叩かれるとか無理!
でも腰や背中はがっつりホールドされてて、体格差もあるお兄ちゃんから逃げ出すのは無理だ……。
「20回叩くから」
と、お兄ちゃんの声が耳に入ったときだった。パシッと乾いた音が聞こえた。その音と同時に私のお尻が痛みが走ったのがわかった。
下着の上からなのに、、1発なら耐えられる程度だけど、しなった手で何度も打ち込まれると、じわっと痛みが重なり、少しお尻が腫れているのを感じる。
「やだぁ……痛いよ……ごめんってば」
と、謝っても痛がっても、お兄ちゃんの手は止まらない。
私の喚き声と、皮膚同士がぶつかり合う乾いた音だけが部屋中に響いている。
バッシィんと、ひときわ大きな音が鳴り手が止まった。
「門限は何時?」
「し、7時」
「門限やぶったら、どうなる?」
「……お仕置き?」

これが私の初めてのお仕置きだった。それからの私の生活は一変することとなる。

小夜時雨◆05「ヤキモチが言い訳」

「五條せんせ〜い!この問題の解き方がわからないんです〜」
「私も!わからないんで、教えてくださぁい」

五條|郁人(いくと)が担当している数学の授業が終わったあとは、いつもこのような情景が見られた。

「どれどれ。あー、これはね、この公式を使えば簡単に解けるよ」

はたから見ると、女生徒からの人気を独り占めしているように見えるが、郁人自身はそこまで深く考えていないようで、普通に生徒の質問に受け答えしている。
異性からの人気があるのが当たり前の状況に慣れているのか、年下である女子高生に興味がないのか、男女差なく接する郁人の態度は、男子生徒からの人気も高かった。

そんな微笑ましい情景を遠目から眺めている女生徒がいる。眉間にシワを寄せ、死んだ魚のような目をした秋月花蓮だった。

「花蓮?顔怖いよ」

隣にいる花蓮の親友・工藤|摩耶(まや)が苦笑しながら声をかける。

「もうやだ」

摩耶の声は耳に入っていないのか、花蓮はぽつりと呟くと机や椅子にぶつかりながら大きな音を立て、教室から走り去ってしまった。

「あいつまた兄貴に叱られそう」
「五條先生も大変だね」

窓際の一番後ろの席に座っていた郁人の弟・隼人は、一連の流れを見ていたようで、花蓮に取り残され窓にもたれたままの摩耶に向かって声をかける。
摩耶は時計に目をやると、休み時間はあと残すところ三分だった。

「工藤さんは課題、大丈夫なの?」
「あっ!やばい、すっかり忘れてた」

授業毎に行われる小テストの点数が悪い生徒には、特別な課題が出されていたのであった。摩耶と花蓮は授業をサボっていたせいもあって、かなりの量の課題を出されていたのだ。

「ややこしい公式だし、わからなければ教えるよ」
「本当に?いいの?」

二人が約束を交わしていると、ちょうど次の授業が始まるチャイムが鳴り響いた。


──


「…ばか」

何も考えずに教室を飛び出した花蓮は、ひとり校舎の中をあてもなく歩いていた。
授業の始まるチャイムはとうの昔に鳴り終わっているので、今更教室にも戻りづらい。

「そうだ!」

花蓮は名案を思いついた表情を見せ、軽快な足取りで保健室に向かっていった。


──


「ごめんね、わざわざ部屋にまであがらせてもらって」
「音楽聞きながら勉強するのに慣れてるから、静かなとこよりも集中できるから構わないよ」

摩耶と隼人は図書館で勉強をしていたのだが、静かな空間で小声で話していると閉塞感が強くて、やはり音楽があって話せるところがいいのではないかと、結局隼人の部屋で勉強することにしたのだった。

「花蓮は今日も来るの?」
「平日は毎日来てるよ」
「そうだよね、誘っても素っ気ないし。親友を五條先生に取られちゃって、毎日暇」
「課題もやらずに毎日何してたの?」

課題に取り組みながらも、摩耶の話を聞きたくて、つい質問をしてしまう隼人の気持ちにまったく気づく様子もなく、摩耶はシャーペンをぐるぐる回しながら答えていく。

「うーん…買い物したりクラブ行ったり」
「そういう遊びが好きなの?」
「別に…暇つぶしだよ」
「ナンパとかされるでしょ?」
「そういうときは適当にご馳走してもらってバイバイする」
「ふーん」

そんな簡単に男に奢らせて、危機感ないのかとイライラしながら隼人は計算をどんどん解いていた。
そんな隼人とは反対に、摩耶の課題はなかなか進んではいなかった。

「課題、進めろよ」

隼人はシャーペンで摩耶の真っ白な課題をトントンと叩く。

「あ、うん」
「親友みたいにお仕置きされないとできないわけじゃないだろ」
「もしかして五條って性格悪い?」
「かもな」

なかなか課題を進めない摩耶の態度や、夜遊びの話を聞いたことで、隼人のイライラは続いている。

「お仕置きかぁ…」
「されたいの?」
「あ、いや別に。違うよ。花蓮、毎日叩かれてるのかなって……ほら授業中とか一緒にお昼食べてるときも、なんか変だし」

摩耶は本題をじらすように、話をしているように見える。課題を解く手はずっと前から止まっているし、いつもより少し早口になっていた。

「さあ、毎日かどうかはわかんないけど。何日かは痛いって聞いたことあるよ」
「そ、そうなんだ。五條は叩かれたことある?」

突然の摩耶の質問に、隼人は驚いてしまった。

「は?」

数学の問題を解いていた手が止まり、隼人の口から出てきた言葉は短かった。摩耶は隼人の返答を聞くと途端に焦りだし、目まで泳ぎ始めてしまった。

「あ、いや、どれくらい痛いのかなぁ…って思っただけで、花蓮可哀想だなって。別にそれだけで、変な意味じゃないから!」

変な意味とはなんなんだろうと、考えながら隼人はまじまじと摩耶の目を見つめていた。摩耶の顔は、普段のクールさを忘れさせるくらい落ち着かない表情をしていた。目は泳ぎ、頬は真っ赤に染め上がり、隼人とは目を合わせてはくれない。

「ふーん。」
「え、あの、叩いてほしいとか、そういうんじゃなくてさ、なんていうのか」
「なに?」
「花蓮、五條先生に大切に思われてるんだなって…少し羨ましいだけ…」

摩耶は本音を漏らした。

「ほらうち放任主義だし、ひとりっ子だし、とりあえず勉強だけしとけばいいとしか言われてないからさ。夜遊びしても、変な男と付き合っても、何も言われないのは寂しいよ」

寂しげな表情で摩耶が話し始めると、変な男と付き合うという発言に、隼人は思わず反応してしまう。

「…変な男と付き合ってたの?」
「昔の話。今は好きな人としか付き合いたくない。って言っても好きな人いないから、まずはそこからだけど」
「そっか」

花蓮から摩耶は誰とも付き合ってないと確認までしたのに、恋愛に慣れてない隼人は、男女関係の話が出ると焦りが出てしまうようだ。

「な、なんか、ごめん。課題教えてもらいに来たのに、変な話しちゃって」
「工藤さん」
「うん?」

隼人が摩耶の名前を呼ぶと、今まで合ってなかった目がやっと合い、ふたりは見つめ合っている。

「暇なとき、俺で良ければ付き合うよ」
「う、うん。ありがとう」

一瞬、間があいたが隼人は自分の気持ちを切り出すわけではなかった。だがこの瞬間で、摩耶に隼人の気持ちが伝わってしまったのは、空気感からわかるだろう。

「あと、今日中にこの課題終わらせないと、俺怒るよ」
「うん、やります。ごめん!」

隼人はまだ摩耶に気持ちが悟られていないと思っている。そんな隼人の気持ちがわかってしまい、摩耶は自分がどうしたらいいのか悩みながら課題を進めるしかなかった。


──


「はあ…」

いつもの場所で課題を進めている花蓮の姿を眺めながら出た、郁人のため息は自分が予想していた以上に深かった。

「課題あとどれくらいで終わりそう?」
「あと2問です」
「終わったら声掛けて」

郁人はベランダに出ると、タバコに火をつけた。親友の伊織には散々止められたが、成人してからすぐに吸い出したタバコは、自分の精神安定剤になってしまっていて、もうやめられそうにない。
教育実習は、あと1日で終わる。
自分が話を聞いていたより少しハードな毎日を過ごしていたので、疲れは限界に達している。それに予想外の子守を頼まれて、郁人は疲労困憊だ。

「郁人くん、課題終わりました」

花蓮の呼びかけで部屋に戻った郁人は、花蓮の座るソファの向かいに、デスクチェアを持ってきて正面に向き合うようにして座った。

「なんか俺に言うことない?」
「あ!そうだ!学校で女生徒といちゃいちゃしないで!」
「…は?」

郁人が聞き出したい話とはまったく違った話を切り出され、しかも職務であり、倫理上なんら問題のないやりとりに対して、お門違いの文句を言われたのでフラストレーションがたまってきていた。

「ああ、なるほど」
「何?」
「俺が他の女の子の質問に答えてたのに嫉妬したから、六時間目さぼったんだな」
「さぼってないもん」
「保健室行った理由は?」
「…あ、頭痛くて」

花蓮の表情は堂々としたものだった。頭痛で保健室に行った記録は残しているので、記録と発言に相違はない。だが、その前の授業態度や休み時間の動きを見ていた郁人に、そんな嘘が通用するわけもなく。

「嘘ついたらどうなるんだっけ?このやりとり続ける?俺疲れてるから、無理やりお尻叩くよ。ブラシで」
「…嫉妬した。」

疲れが溜まってイライラしている郁人が畳み掛けるように言うと、花蓮はすんなりと嫉妬していたことを認めた。

「教育実習は明日までだし、説教はいらねーな」

郁人はそう言って立ち上がると、花蓮の腕をつかんで立ち上がらせベッドまでつれていく。いつものようにベッドに腰掛けると、自分の膝の上に花蓮を腹ばいにさせ、そのままスカートと下着を一気にさげた。

「ごめんなさい!」
「はいはい」

涙声で謝る花蓮を気にもせず、郁人は足を組んで花蓮がよりお尻を突き出す体勢にしてしまう。

バシッ大きな音が響く。予告もないままお仕置きが始まった。

「ごめんなさいっ」

いつもより音が小さいものの、郁人が足を組んだせいで、花蓮のお尻は突き出している状態になっている。この状態だと、普段お尻のクッションになっているものが分散し、痛みが増してしまう。組んだ足の高さがあるので、花蓮は床に足がつかなくて踏ん張ることもできず、両手が床についた状態で安定させているので、お尻をかばうこともできない厳しい体勢なのだ。

そんな厳しい体勢なのは承知の上で、郁人は普段と変わらない、スナップの効いた平手を花蓮のお尻に打ち落としている。

「痛いよ…っん…痛い!」
「俺のお尻叩きが痛くなかったときあるか?」
「ないっ…ですっ…」

腰に回した手は充分にホールドしており、花蓮はどう頑張っても逃げられそうにもなかった。逃げられたとしても、その後が恐ろしくて逃げることすらできなさそうだが。
郁人の平手は確実に花蓮のお尻を叩いていく。一打一打叩くごとに赤みが増していく。まるで重ね塗りをする油絵のように、可愛い花蓮の丸いお尻のキャンバスに、平手を何度も重ねている。

「今日は…嫉妬してぇ…っ頭に!…きたから…ついぃっ…やっちゃった!」
「嫉妬するのと!授業サボるのは!別だろ!」
「…はい」

もう全体的に赤く染まってきた花蓮のお尻に、まだまだ容赦ない平手を打ち込んでいく。
初めのうちは痛みに耐えていた花蓮だったが、我慢できなくなったのか足をばたつかせるようになった。

「足!」

と、郁人に注意され太ももを叩かれてしまった。

「あぁっ…ごめんなさい!」

数も言わずに勢いのまま叩いていたが、郁人は自分の体力の限界を感じだした。明日は実習ラストなので余力を残しておきたかった。

「あと10回な」

いつもなら数をかぞえさせたり、ごめんなさいと言わせたり、色々指定をしていたが、今回は思いっきり一打ずつ叩く。花蓮が動こうが泣こうが、腰を回した手はより強く力をいれているのて、渾身の力を使い10発を叩いた。

「っはぁ…あぁん!!…ったいよぉ!」

10発叩き終えると、郁人はバタンとベッドに腕を広げて横になった。花蓮は下着もスカートもあげずに、郁人に寄り添った形でベッドに横になり涙を浮かべている。
寄り添う花蓮を可愛く感じたのか、郁人は頭をぽんぽんと撫でると、花蓮は郁人に抱きつき腕枕をしている状態になっていた。

「実習終わってもさぼったら俺に連絡くるようにしたから」
「わかった。真面目にします」
「あと俺もう眠くて動けないから、適当に帰ってくれ」
「もうちょっとこうしててもいい?」
「好きにしろ」

郁人の返事を聞いて、花蓮が郁人の胸に抱きつくと、花蓮の頭を支えている手で髪を優しく撫でた。
そこで郁人の記憶は途切れてしまった。

小夜時雨◆03「嘘は嫌い」

「花蓮にはこのブラシは必要ないみたいだから、俺が大切に使わせてもらうね」
「お兄ちゃんの短い髪でもとくのに使ってあげれば?私はそんな重くて大きいのいらない!」
「使うのは花蓮のためにだけどな」

伊織が強引に花蓮を自分の脇に引き寄せ、腰に手を回し体をくの字の体勢にさせると、パジャマと下着を一気に下におろし、花蓮のお尻を叩き始めた。

「ごめんなさいっ。ブラシはやめて!反省してるから!」


──


嫌な夢をみた。
兄の伊織とはもう一年以上会っていないので、寂しい気持ちは抱いている。が、お仕置きをされる生活が再開されてる今、花蓮には叱られた記憶が走馬灯のように頭をかけめぐったりしている。
これは伊織の提案と、郁人の行動のダブルファインプレーなのかもしれない。
朝起きて顔洗って歯磨きして朝ごはん食べて学校行って真面目に授業受けて宿題して部屋を片付けてお風呂入って早く寝なきゃ。
伊織の躾の賜物なのか、郁人への恐怖心の大きさなのか、どちらにせよ花蓮はいい子に過ごせている。

やっと平日が終わり、待ちに待った土日が来た。
花蓮は緊張した日から解放されたい自分の意思とは別に、心の奥底ではお仕置きの恐怖を忘れないようにと、己に警告しているような夢を見てしまった。
待ちに待った土曜の朝だというのに、すっきりしない目覚めを迎えていた。

目覚めがすっきりしなかったのは、悪夢のせいだけではない。
以前、郁人に家庭教師を頼んでいるときから、毎週土曜日は一週間のまとめを復習と兼ねてテストをする日だと決まっていた。
もちろん今日もその予定である。
その予定なのだが、一ヶ月前から花蓮には摩耶との大事な約束を交わしていた日でもあった。
つまり今日は…仮病作戦を使うつもりでいる。

別にサボるわけではない、ただ明日の日曜に日程を移してもらって、今日は摩耶と過ごすだけ。

花蓮はベッドで自分にそう何度も言い聞かせていた。
度重なるお仕置きは花蓮の不用意な行動の抑制を果たせている。
郁人のことは好きだけど怖い。嫌われたくないけど怖い。
そんな気持ちが花蓮の頭のなかをぐるぐる駆け巡っている。

電話は声色でバレてしまうかもしれないので、LINEでさらっと連絡をすることにした。

『おはようございます。
 今朝起きたら頭が痛くて微熱が少しあるので
 土曜の分を明日にずらしてもらえませんか?』

この文章を打っているだけで、心臓の鼓動が自分の耳にも入ってくるかのように感じた。
花蓮が後ろめたさに襲われているなんて、思いもしない郁人はすぐに了承の返事を返してきた。
返事にはもちろん花蓮の身体の心配もしてくれていた。

…郁人くん優しい。好き。

そんなことを思ってしまう花蓮には、やはりお仕置きは必要なのかもしれない。


──


予定は完璧だった。
花蓮の家から駅まで向かうには、五條家の前を通るしか道はないのだが、花蓮は子どもの頃に使っていた細い細い塀の脇をまるで猫のようにすり抜けて、普段使わない道を使い駅まで向かった。
駅から電車に乗り、向かった先は月曜日に摩耶とモーニングをとったあのファミレスである。

「花蓮~こっちだよ!遅いじゃん!」
「ごめん、ちょっと手間取っちゃって…」

花蓮にとってなにより裏工作は一番重要であった。

「あーもうすぐ見れるんだよ。待ちに待ったライブだね!」
「摩耶がそんなにオススメするバンド、楽しみすぎる」

今日の摩耶はいつもよりテンションが高い。
そのテンションの高さにつられて、花蓮の声も高くなっていた。

今日は摩耶のお気に入りのバンドが参加するライブを見に行く予定なのだ。
まだ一般的には有名ではないが、音楽好きの中では人気が高まっているバンドなのでチケットはすぐに売り切れてしまったらしい。
ライブハウスに初めて行く花蓮はどんなものなのか楽しみでたまらなかった。


──


ライブハウス初体験の花蓮には、満員で生演奏を楽しめるほど心に余裕はなかった。
途中で気分が悪くなり、前の方で盛り上がる摩耶に一言声を掛け、花蓮は人の密度が薄い後ろの壁に移動してきた。
たった今、演奏しているのが摩耶のお目当てのアーティストだから、花蓮は遠目で眺めながら待っていようと、ペットボトルの水に口をつけ、壁に寄りかかった。
人の多さに酔ったのか目が回ってバランスを崩しかけ、右隣に立っていた男にもたれかかってしまう。

…郁人くんのにおい?

「大丈夫ですか?」

…聞き慣れた声が聞こえた気がした。

「花蓮!大丈夫!?」

ちょうどお目当てのアーティストの出番が終わり、花蓮のことが心配だった摩耶は、人混みをかき分けて後方まで来ていた。
ふらっとしたのは一瞬だったのか、花蓮はすぐに体勢を整え摩耶の顔を見る。

「あっ摩耶。出番終わったの?なんか人混みに酔ったみたい」
「急に倒れ込んできて謝罪もないのかよ」
「ほんとすみません!ちょっと気持ち悪く…て」

もたれかかってしまった男に謝らなければと、相手の目を見て話そうとした花蓮は、男の顔を見た途端、また倒れてしまいたくなった。

「五條じゃん!ライブとか来るんだ。意外」
「さっきのアーティスト目当てで来たんだけど…」
「ほんとに!?私もお目当てだったよ!ギターがカッコ良すぎだよね」
「そうそう俺もギター目当て」

花蓮がもたれかかってしまった隣の男は五條隼人だったのだ。
摩耶と隼人の楽しそうな会話は、花蓮の耳には入ってこない。

…どうしよう。どうしよう。

「えっあの希少価値で手に入れるのが難しい初期のCDもあるの?いいなぁ〜見てみたい!」
「たまたま買ったのがそのCDだったわけ」

普段はクールであまり表情を変えない隼人が、珍しく積極的に話しているレアな状況だが、脳をフル回転させている花蓮にはそれどころではなかった。

音が大きいので話しにくかったのか、花蓮の気づかない間に三人はライブハウスの外に出ていた。

「花蓮さ、兄貴が心配してたけど」

ビクッという文字が見えそうな、絵に描いたようなリアクションを花蓮がすると、隼人は意地悪そうな表情を見せた。

「工藤さん、門限何時?」
「門限とかないよ。うち放任主義だから」
「俺の部屋来る?CD貸してあげるよ。帰り送れば平気?」

隼人は摩耶とそんな会話を交わしながら、スマホで誰かに連絡をいれているようだった。
花蓮は隼人のTシャツの裾を後ろから引っ張り合図を送るが、隼人は気づかないフリをしている。
摩耶は話の合う友達ができた喜びで、不自然な花蓮には気づかないでいた。
そんな不思議なやりとりをしながら、隼人が歩く方向に三人は進んでいくと大通りに出た。

「隼人のバカ!」

無視されているイライラと、嘘がバレてしまうんじゃないかという恐怖で、花蓮は大きな声をあげ信号もない大通りを無理やり渡ろうと駆け出した。
その時だった。

「バカはお前だろ」

左手首を強く握られ、花蓮は引き止められた。
声の主は、郁人であった。

隼人からの連絡を受けた郁人は、慌てて三人を迎えに来たらしく、コンタクトを着ける暇がなかったのか、珍しくメガネをつけていた。
普段だったらメガネ姿もかっこいいなと、見とれてしまうのだが、今の花蓮にはそんな余裕は一切存在しない。
お迎えは五條家の共用の車だった。
助手席には花蓮。後部座席には隼人と摩耶が並んだ。
郁人とのドライブを夢見ていた花蓮だったが、こんな状況下で望んでいたわけではない。

摩耶は相変わらず隼人との話が盛り上がっているので、車内前半分のどんよりとした空気には気にもしていなかった。


──


隼人の真面目な性格からは想像できないロックな部屋へ、通された摩耶は驚いて部屋中をキョロキョロと見回してしまう。

「ピアノも弾けるの?」
「子どもの頃から習ってた」
「音楽好きなんだ」
「まあ、この部屋の通り」

隼人は初めて異性の子を部屋に入れたことに気づいた。
音楽で話せる友達はほとんどいなかったので、摩耶との共通点は隼人にとって、とても自然に異性を受け入れる状態になってしまったのだ。
別に悪いことは何もない。
冷たい人間でもクソ真面目と呼ばれていても、実際は普通の男子高校生なのだから、異性が気になるのは当たり前のことだ。

ただムードや展開はお預けかなと考えてしまうほど、隣の部屋の音漏れが気になるほど聞こえてくる。

「そういえば花蓮は?」
「兄貴と一緒にいるんじゃないかな」
「五條と花蓮がこんな近所に住んでて幼馴染なんて知らなかったから聞くけど、もしかして花蓮の家庭教師って五條先生?」
「ああ。あいつ今日、熱が出たって嘘ついてサボってたんだよ。車ん中の兄貴の顔、表情ひきつってたし」

摩耶の中で点と線が繋がった。
怖い家庭教師に嘘がバレてしまって説教するため連れて行かれたのかなと、摩耶は単純に考えていた。
でも少し変だ。
乾いた何かを叩いているような音と、なにやら謝って泣いているような花蓮の声が少し聞こえていた。

「五條先生って泣いちゃうくらい怖いの…?」
「お仕置きされてるんだろ」
「…お仕置き?」

お仕置きというワードを聞かされても、摩耶にはピンとこなかった。

「工藤さんと遊び回ったり学校サボったりしてるのが兄貴達にバレてから、ずっとこんな感じ。ここ一週間で三回目」
「お仕置きって何?」
「兄貴に尻叩かれてる。って知らなかったのか」
「は?なにそれ?」

親にもほとんど叱られたことのない摩耶には、お仕置きという言葉もお尻を叩かれているという親友の状況を現実的に考えられなかった。

「お尻叩かれて泣いちゃう花蓮かわいい〜」
「茶化すなんてはしたない真似やめなさい」
「えっ」

隼人と摩耶の空気が一瞬かたまった。

「あ、ごめん。俺クソ真面目だから、工藤さんのそういうノリがたまにイラッとしちゃって」
「なにそれ、私のことが嫌いってこと?」
「違うよ。可愛いし勉強できるのに、もったいないなって思うだけだよ」

隼人はベッドに腰掛けている摩耶の隣に座り、目を合わせるように距離を縮めていくと、摩耶の視線が定まらず、顔も赤らめてしまった。

「な、なによ」
「別に」
「顔、近いよ」
「だから?」
「……」

隼人の見つめる視線に摩耶は言葉に詰まった。


──


郁人の運転する車で五條家に到着したのは午後八時を過ぎたところだった。
音楽の話で盛り上がっている摩耶は、隼人に連れられてそそくさと二人で消えてしまい、郁人は黙って何も話さないので、花蓮も黙って郁人の車庫入れを終わるのを待っていた。
車を車庫に入れ終わると、レディをエスコートする紳士のように、郁人は左手を花蓮の腰に回し、階段を昇り自室に連れて行く。
車のキーをベッドの上に投げると、大きな音をたて郁人はベッドに腰を掛けた。
メガネごしでも眉間にシワを寄せているのがよくわかる。

「座れ」

いつものようにソファに座れと言っているのではない空気を感じ、花蓮は郁人の目の前の床に正座した。
恐ろしくて顔も見れずに、ずっとうつむいている状態である。

「一応、確認する。門限は何時?」
「…八時です」
「今何時?」
「…ごめんなさい」
「今、何時って聞いてるんだけど?」
「…八時二十分」
「朝の熱が出たってLINEは?仮病か?」
「…はい。ごめんなさい」

冷たい口調の郁人が怖かった。
と同時に自分の軽率さに苛立ちも感じていた。
先に摩耶との予定があると伝えていれば、門限が過ぎてしまうことも伝えておけば、嘘をついて心配をかけることもなかったであろうし、心からライブも楽しめたと思う。
今日は郁人の言うとおりにお仕置きを受けよう。素直に謝ろうと覚悟を決めた花蓮は、自分から発言を始めた。

「郁人くん、今日は本当にごめんなさい。ものすごく反省してるし、心配かけてしまったと思ってるの…」
「へえ、それで?」
「本当にごめんなさい」

ごめんなさい。
花蓮の頭の中ではこの言葉しか浮かばなかった。

「うん。反省してるってことはわかった。じゃあここにおいで」

ぽんぽんと郁人は自分の膝を軽く叩いた。
少し表情が和らいだように見えた郁人だったが、それは花蓮の反省を空気から読み取れたからであって、お仕置きがなくなるわけではなかった。
反省はしている花蓮だったが、お仕置きを素直に受けるのは相当な勇気が必要だった。
花蓮はゆっくりと立ち上がり、郁人の膝にはらばいになった。

「お仕置きのときはどうするんだっけ?」

花蓮のお尻をパンパンと軽めに叩いて合図を送る。
その合図にしぶしぶ、花蓮は自分で下着を膝までおろし、スカートをまくり上げて、叩きやすいようにお尻をむき出しにした。

「…ごめんなさい」
「今日は俺がいいと思うまで許さないけど、一発叩かれるごとにごめんなさいと謝って」

バシッ!

「ごめんなさいっ」

一打目からものすごくきつい平手が落ちてくる。
痛くて恥ずかしくて情けなくて、花蓮は思わず泣いてしまいそうでも、郁人が許すまでお仕置きは終わらないのだ。
黙々と花蓮のお尻を叩き続けてる音と、涙声で謝る声だけが郁人の部屋中に響いている。

バシッ!バシッ!バシッ!

「ごめんなさぃぃ…痛い」

花蓮のお尻はピンク色に染まっていた。
回数で言えば50を超えたあたりだろうか、痛みに我慢できずに手でお尻をかばってしまった。

「反省してるって言ってたのも嘘か?なにこの手」
「反省はしてるけど、痛くて…」
「お尻叩かれて痛くないわけないだろ。手でかばった罰は後で追加するから、大人しく泣いとけ」

郁人はお尻をかばっていた花蓮の手を、空いている左手でつかみ背中側に引き寄せ、お尻をかばえないように固定しながら、再びお尻を厳しく叩き始めた。
まだ三度目のお仕置きなのに、郁人は花蓮を懲らしめる方法を元々知っているような動きをしている。
左右のお尻をまんべんなく叩いて赤くなりはじめてからは、叩く速さを変えたり、同じ箇所を連続的に叩いたり、太ももとお尻の境を重点的に叩くなど、郁人の心の底にあるサディスティックな面がお仕置きをすることで浮き彫りになってきているのかもしれない。
これ以上お仕置きが厳しくなるのは避けたいが、まだまだ終わりそうもないお仕置きに、花蓮ただ泣いて謝るしかできなかった。

「ごめんなさぃ…ヒック…ごめんっ…なさ」

怒りに任せて花蓮のお尻を叩いていた郁人は、自分の手のひらも真っ赤になり軽くうっ血しているのに気づいた。
週明けの教育実習用の資料の作成が残っていることも同時に思い出した。

「手でかばったのも追加して、ブラシで20回」
「…ブラシはやだぁ」
「反省してるのに口答えすんの?」
「ごめんなさい。反省してます」
「ブラシ終わったら、今日の分のお仕置き終わりにするから」

…今日の分!?

花蓮は自分の耳を疑った。
まだ膝からおろしてもらっていないので、郁人の表情をちゃんと確認することはできないが、当たり前のようにさらりと発言したので、冗談ではなさそうだ。
それでも自分の勘違いかもしれないと、花蓮はおそるおそる郁人に聞いてみた。

「もしかして明日もお仕置き?」
「今日のこれだけで許してもらえると思う?前に言っただろ。俺、嘘つかれるの大嫌いだって」
「…ふぇ」
「泣いてもダメ。一日おきにお尻叩いてるんだけど、高校生にもなって恥ずかしくないの?そんな頻度で怒られるようなことされちゃ、さすがに俺の手も体力も限界だから、今回はとことん厳しくするよ」

確かに兄の伊織が家を出てから気が緩んでおざなりにしてきたことが多すぎて、花蓮のこんな生活を伊織が知ったら、それこそ毎日お仕置きされてしまうのではないかと思っている。
だからと言って片思いの相手からのお仕置きを素直に受けるのは、そう簡単ではない。

「じゃあ20回数えて」
「…はい」

とりあえず素直に郁人の言うことを聞き入れるしかないので、花蓮は大人しく従うことにした。
一年ぶりのブラシは、やはり記憶の中にある痛みと変わらず重くて痛かった。
郁人が多少手加減をして叩いてくれているのを花蓮は気付いているものの、平手と違い皮膚の表面にも内側にも響くような痛みは、既に200回近く叩かれたお尻にはつらいお仕置きである。

バシッッ!バシッッ!バシッッ!

「ヒック…っじゅう…はちぃ……じゅうっきゅぅ…っにじゅうっ」

郁人は花蓮を膝からおろすと、今日は頭も撫でずに部屋を出て行ってしまった。
花蓮は部屋に一人にされて、寂しさとお尻の痛みで涙が止まらなくなっている。

…明日もまだお仕置きがあるのか。

花蓮には絶望しかない。
郁人と過ごせるなんて、本当はとても嬉しいはずなのに、毎回お尻を叩かれるのに楽しみになんてできるわけがない。
もちろん今日のことは反省もしているし、ここ一年の自分の生活も改めようとは思っているが、緩んだ気持ちが簡単に一新できればいいのに…とまだ甘えた気持ちが抜け切れずにいた。

そんな絶望感に抱かれながら、花蓮は郁人のベッドにうつ伏せたまま寝っ転がっていると、いつの間にか郁人が部屋に戻ってきた。

「やっぱり下着あげられねーよな。痛いだろ」

郁人はそう言うと、花蓮の出しっぱなしのお尻にゆっくりと冷たいタオルを乗せた。
真っ赤に染まり熱くなったお尻には、この冷たさが優しさに感じる。

「お尻痛くてパンツも履けないのに、まだ家に帰れないよな?」
「…ぅん」
「俺、車で工藤さんを家まで送って来るから、お尻冷やして待ってて」

郁人はベッドの上に無造作に置かれた車のキーを手にすると、その流れで花蓮の頭をぽんぽんと軽く触り部屋を出て行った。
再び花蓮は部屋で一人きりになってしまった。
スカートはまくり上がり、下着はさがった状態でお尻の上には濡れタオルが置かれてあるのだ。一人きりのほうがいい。
当たり前の話だが花蓮が寝転がっている郁人のベッドは、郁人のにおいがする。
ただそれだけで安心できる。
こんなに自分のお尻を叩いて腫らした相手でも、自分が悪くてお仕置きされてしまったのだし、反省しなきゃと思う反面、郁人の部屋にいられることは少し幸せに感じられた。

コンコン

郁人の部屋の扉を叩く音がした。

「花蓮?いる?」

隼人の声だった。

「あ、ごめんっ。ちょっと待って」

花蓮は慌てて下着を履きスカートを戻すと、濡れタオルをテーブルの上に置いた。

「はい、いいよ」
「ごめん急に声かけて」
「摩耶を一緒に送りにいったのかと思ってた」

ベッドに座った花蓮とは少し距離をとっているのか、ソファに座った隼人は今まで見たことのない悩ましい表情をしていた。

「もう時間も遅いし兄貴が一人で送ってったよ」
「そか…」

少し沈黙が続いた。
やっぱり座っていると、お尻が痛くてもぞもぞ動いてしまう花蓮に気付いたのか、隼人が切り出し始めた。

「工藤さんって彼氏いるのか知ってる?」
「はえ?なんで?」
「いや、ちょっと気になって。こんなタイミングで聞いてごめん、痛いんだろ」
「えっ、いや謝られてもなんか恥ずかしいし、そりゃ痛いよ!座るのつらいもん。摩耶の彼氏?今はいないよ。えっえっえっ!?もしかして、隼人!」

自分のお尻の心配をされたのが恥ずかしかったが、それ以上に隼人が摩耶の彼氏のことを聞いてくるという意外な展開に、花蓮はついついニヤニヤしながら大きな声で話してしまっていた。

「はいはい、うるさい。彼氏いないんだ。ありがと」
「えっ、どうしたの?摩耶のこと好きになっちゃったの?」
「兄貴にお尻叩かれて泣きながら謝ってるお子様な花蓮ちゃんにはまだ早いお話なので、答えられませ~ん」
「なによ、相変わらず意地悪な言い方しかしないんだから!隼人のバカ!」
「本っ当、工藤さんとつるみはじめてから口が悪くなったよな。あ、伊織くんが留学しちゃったのもあるのか。そういうとこも兄貴に躾けてもらえよ」
「は、はー?」
「あーごめんごめん言い過ぎた。でもそういう言葉遣いの女の子はちょっと…って感じるからやめたほうがいいよ」
「別に隼人がどう思っても、私に関係ないじゃん」
「兄貴も俺も同意見なんだって。兄貴のこと好きなんだろ?」
「まあ、好きだけど…」
「じゃあ俺も花蓮も頑張るってことで、工藤さんの話サンキュ」

隼人は清々しい顔で郁人の部屋を出て行ってしまった。
花蓮と隼人は幼い頃から口喧嘩が絶えなかった。お互い嫌いではないのだが、同じ年だからか意地を張ってしまいやすいのかもしれない。
摩耶と隼人の関係を見守るという楽しみも増えたので、少し落ち込みから回復してきた気がする単純な花蓮であった。

小夜時雨◆02「約束事」

四時間目のチャイムが鳴った。
お昼前の授業は、食べ盛りの高校生たちにとって空腹で一番集中力を欠く時間帯である。
クラスのほとんどが空腹で気がそれている中、扉側の最後列に一人だけ椅子の座る位置を落ち着きなく変えている生徒がいた。

「大丈夫?」

後ろの扉のすぐ隣に椅子を持ち込み、授業の見学をしている教育実習生の郁人が小声で声をかける。
声を掛けられたのはもちろん、昨日お尻を散々真っ赤に腫らすまで叩かれた花蓮である。
花蓮は郁人のほうを軽く振り返ると、何も言わずムッとした表情だけ見せた。
花蓮がじっと大人しく椅子に座っていられないのは、郁人のお仕置きが効いていると言うのだろうか、一晩過ぎた今もお尻に痛みが残っているので、痛くないところで座ろうとしているのだ。とは言っても、花蓮のお尻に痛くないところなどないのだから、その行為は意味を持たないのだが、同じ体勢で自分の体重をかけ続けるのがつらいので仕方のない行動なのである。

学校に真面目に通うと郁人と約束したので、授業も真面目に受けないといけないし、お尻が痛いからズル休みなんてもっての他だし、花蓮にはきちんと高校生活を過ごすしか選択肢が残っていない。

昨日のお仕置きの痛み、あと何日続くんだろう。
花蓮の頭はそのことでいっぱいだった。

昨日のお仕置きで、あと何日効果が持つのだろうか。
郁人の悩みはそこである。


──


「ねぇ今日どうしたの?朝から変だよ」

摩耶が心配そうに花蓮の顔を覗く。
昼休み、校内の中庭で花蓮は摩耶と並んでベンチに座っていた。
本当はお尻が痛くてつらいの、と言いたいところだが、完全放任主義の家庭で育っている摩耶に自分の話をしても引かれるだけなのじゃないかと思い、花蓮は少し悩ましい表情を見せながら答えた。

「…昨日ね、告っちゃった」
「えっ!本当に!?それって、こないだ言ってた家庭教師の人?」
「…うん、そう」
「それで?結果は?」
「うーん…もっと大人になれってさー」

花蓮は摩耶の膝を枕にしてベンチに横になった。
お尻の休憩をしたいのもあったが、人肌に触れたかった。
郁人に言われた言葉をうまいこと自分の中でまとめたのだが、お仕置きされる関係なんて、まだまだ子どもとしか見てもらえないのか…と花蓮は己の言動の未熟さに辟易してしまう。

「そっかー、何歳年の差があるんだっけ?」
「五つかな、大学四年生だから」
「私、高一のときに六つ年上と付き合ってたけど、男はみんなおこちゃまだよ。花蓮もすぐに追いつけるよ。待っててくれてるんでしょ?」
「多分ね。でもダメでもいいよ。久しぶりに会ったら、理屈っぽくって、なんか意地悪だったもん」

待ってくれてるのかな?

花蓮は摩耶には否定的なことを言いながらも、心の中で期待を残していた。

「とはいっても家庭教師なんでしょ?好きだと思わせといたほうが、優しくしてもらえるよ!」
「そうかもね〜」

優しく…してくれるわけないよね、と花蓮の諦めが笑いになって出てきた。
摩耶と考えていた夏休みの予定、郁人という保護者のような存在の家庭教師、どっちも両立させられるのには無理があるのは、誰から見ても明らかなので、花蓮の諦めの感情は仕方がない。
だが真実を明かされていない摩耶には、理解できないのも仕方のないことなのだ。
このすれ違いが、また新たな関係を生み出すことになるのだが、それはもう少し後の出来事となる。


──


昨日、郁人の部屋から帰る前に連絡先を交換した花蓮は、携帯から通知が来るたびドキドキしていた。
お尻の痛みは消えないまま、もう放課後になっていたが、郁人からの連絡も指示もなかったので、摩耶といつも通っているファミレスで世間話に花を咲かせている。
夕飯食べ終わって宿題持って郁人の部屋に行けば、とりあえず叱られることもないだろうと花蓮は安易に考えていた。

その頃、郁人の携帯には伊織からのメールが一通届いていた。


──


午後八時、秋月家のインターホンが鳴った。
すでに夕飯を食べ終わり、宿題とペンケースが入った鞄を用意してリビングで母親と話をしていた花蓮は、突然の来訪者に驚きを隠せなかった。

「いらっしゃい、久しぶりね!花蓮のお勉強また見てくれるように、伊織からお願いしちゃって悪いわね〜」
「いえいえ、伊織にはあっちで頑張ってもらいたいですし、花蓮ちゃん頭はいいから、やりがいありますよ」

…頭「は」いいから?
他は?
郁人が発する言葉の端々からイヤミを感じて、花蓮は叩かれてもないお尻が痛んできた。

「こんばんは。今からおうちに行こうと思ってたとこだけど、どうかしたの?」
「おー!伊織に荷物取ってきてくれって頼まれちゃってさ。ちょっと付き合ってよ。すぐ見つかるみたいだから」
「いいよ」

花蓮は郁人を連れて、二階にある伊織の部屋に案内した。

「相変わらず洒落た部屋だな」

輸入雑貨を扱う父親の影響からか、伊織の部屋は見せる収納を様々なアイディアで実践していた。
とことん物を隠して収納している郁人とは真逆である。

「そこの引き出しに入ってるブラシ取って」
「…ブラシ…マジで?」
「おう、マジマジ」

その引き出しに入っているブラシにはいい思い出がなかった。
花蓮はじっと郁人の顔を見つめて、表情で拒否を語ってはいるがその拒否は長くは続かなかった。

「ブラシは後でいいや。伊織から一個チェックして欲しいってお願いされてることがあるから、花蓮ちゃんの部屋を見せて」
「えっ?」
「今すぐ」

もう自分は諦めるしかないと腹をくくったのか、花蓮は暗い表情でゆっくりと引き出しから木製の柄の少し大きめなヘアブラシを取り出した。その足で伊織の部屋の扉を開くと、表情を変えず黙ったまま郁人を自室に招き入れた。
花蓮の部屋は…伊織の予想通り片付いているとは言いがたい状態だった。
制服はベッドの上に無造作に置かれ、郁人の部屋に行くためにどの服を着て行こうか選びながらファッションショーしたであろう服の山が広がっていた。

「はあ…その持ってるやつと宿題持って俺の部屋集合な」
「……」

花蓮は今にも泣きそうな顔で手に持っているヘアブラシを見つめていた。

「昨日の今日だ。泣かすつもりはないよ。安心して」

うつむいている花蓮の頭の上に手を軽く置いた郁人の声は優しかった。

「俺コンビニ寄ってから帰るけど、一緒に行くか?」
「…一緒に行く」

徒歩五分のコンビニでも、郁人と歩く道中は花蓮にとって嬉しいものだった。

「授業中、そわそわ落ち着きなかったけど、お尻まだ痛い?」
「まだ赤いもん…痛い」
「昨日頑張って我慢したし、今日は学校で真面目に過ごせたから、ご褒美にお菓子買ってやるよ」
「いらない!子どもじゃないんだし」
「本当に?いらないんだな?」

花蓮はすぐ買い物が終わると聞いたので、郁人の邪魔にならないようコンビニの前で待っていた。
聞いた通り、郁人はすぐ買い物を終わらせてコンビニから出て来たが、店の外に出た途端、買ったばかりの袋からアイスを取り出した。

「買い物付きあわせちゃったお礼で半分こな」

郁人はふたつに分けられるアイスを買ってきていたのだった。
花蓮は郁人からアイスの片割れを受け取るとにこっと笑顔を見せた。

「ありがとう」
「やっと笑った。笑顔可愛いんだから、もっと笑えよ」
「怒られてるときも笑ったら許してくれる?」
「叩く回数増やすわ」
「嘘ですっ」
「嘘なのか、嘘つきの悪い子はお仕置きしなきゃ」
「ムリムリ、もう郁人くんいじわるだよ」
「いじわるで結構。ほらアイス溶けるぞ」

五條家の玄関に着く頃にはふたりともアイスは食べ終わり、こわばっていた花蓮の表情に柔らかさが戻ってきていた。
郁人の部屋へ入るとさっそく、花蓮は宿題、郁人は残っている作業を各々進め始める。
二人で過ごしている時間が過ぎれば過ぎるほどに、先程の和やかな空気はどんどん薄れていった。
宿題を始めて40分。花蓮は丁寧にゆっくり進めていたが、大した難易度ではなかったので簡単に宿題は片付いてしまった。

「…あの」
「ん?宿題、終わった?見せて」

花蓮の宿題にざーっと目を通し

「よし、お疲れ」
「…はい」
「帰るのはもう少し待って。俺ももう少しで終わるから、それまでこれに伊織と約束してた事項書いてて」

花蓮にルーズリーフを一枚渡すと、郁人はパソコンと書類が広がっている机に戻っていった。
伊織との約束事…。
今更嘘をついても、兄が郁人にすべて話しているであろうことは、昨日のやりとりで意味がないことは重々承知している。
花蓮に残された選択は、素直に郁人の指示に従うことである。
気が進まない中、花蓮は記憶を辿りながら兄との約束事を書き出していく。

「…はあ」

思わず出た花蓮のため息は、自分の予想より大きく声になってしまっていた。

「書き終わった?」
「…多分」
「オッケー、俺の作業もう終わるからそれまで休憩してて」
「はあい」

休憩と言われてもやることがないので、携帯をのぞくと摩耶からのLINEが来ていた。
土曜日に遊ぼうというお誘いの連絡だった。
摩耶と遊ぶのは楽しみだし連絡も嬉しいのだが、心が晴れないのはお尻が腫れているからだろうか…。
と一人でオヤジギャグをかましていたあたりで、郁人の作業が終わった。

「花蓮ちゃんそれ見せて」

花蓮が書き出した約束事は、伊織から聞いていた内容とほぼ変わらなかった。

「俺ともこれと同じ内容を約束してほしい。できる?」
「…はい」

花蓮に拒否権などなかった。

「俺、伊織から聞いてたみたいにキツくお尻を叩いたことないけど、花蓮ちゃんのために心を鬼にするから」
「うん」
「じゃあ、部屋を散らかしてた分だけお仕置きするよ」
「えっ今日は泣かさないって言ってたじゃん!」
「俺との約束はしてなかったから、回数は少なくするよってことだよ。ほら、さっさと来なさい」

まるで騙された気分だったが、ここで文句を言っても自分のお尻が痛くなるだけなので、花蓮は大人しくソファーに腰掛けた郁人の膝に腹這いになった。

「今日はいい子だね。30回叩くから数えること」

ショートパンツと下着を一気に膝まで下げられて、まだ赤みの残っている花蓮のお尻がむき出しになった。恥ずかしさで花蓮は息を呑んだ。

「返事は?」

バシッ!

軽めの平手が打ち落とされた。

「っはい…」
「じゃあいくよ」

バシッ!バシッ!バシッ!

郁人の手の振り上げ方、スナップから明らかに昨日より加減をしているのがわかる。
手加減されていても、痛いものは痛い。
ましてや昨日のお仕置きの痛みが残ってる上から叩かれるなんて、花蓮にもあまり経験のないお尻叩きである。
回数を重ねるうちにカウントする花蓮の声はつらそうに聞こえてきた。もちろんつらそうな声を出したところで、これ以上手加減をするつもりのない郁人には関係のない話である。
宣言通り30回きっちり叩き終わると、花蓮を膝から下ろし床に正座をするように促した。

「伊織の部屋から持ってきたブラシ出して」

花蓮は言われるがまま、カバンに入れて持ってきたヘアブラシを出して郁人に手渡した。

「今日はいい子だったから使わないけど、このブラシは俺が預かっておくね。俺がこのブラシを使わせないように、約束は守ること」
「はい」

あのヘアブラシでお尻を叩かれる覚悟をきめていた花蓮は、郁人の言葉で一気に気が抜けて、そのまま前のめりに郁人の膝の上に頭を倒し、両手で腰に抱きついてしまった。

「そのブラシ大嫌い」

そうつぶやく花蓮の頭を郁人は優しくなでた。

花蓮とそのヘアブラシには伊織とのエピソードがある。部屋を片付けていないときは、いつもブラシでお仕置きされていた。
元々は父親からのお土産のひとつで、ブラシ部分が男の人が手の平を広げたくらいの大きめのヘアブラシである。
部屋が散らかしっぱなしを咎めて何度お仕置きしても、口答えして無視をする、反抗期真っ盛りの花蓮が中学一年生のころの出来事。
両親不在の日の日曜の朝、なかなか起きてこない花蓮を起こすために部屋に入った伊織は、服や雑誌が床に散乱しているところを避けながらベッドに近寄ろうとしていると、ヘアブラシが床に転がっており、足に軽い怪我をしてしまったのだ。

「あー伊織が怪我して試合に出れなかった日か。そりゃ怒るだろ」
「床にほっといて髪をとかしてもらえない仕事のないヘアブラシが可哀想だって言われて…私のお仕置き用にされちゃって」
「髪をとかすより、こっちの木の面で叩かれることのほうが多かったわけだな」
「すごく痛いし、何日も椅子に座るのつらくなるの」
「痛くされないと片付けないんだろ?」
「ちがうもん!ちゃんと出来ますぅ」
「ま、抜き打ちで部屋見に行くから、約束は守ってね」
「…ぅ、うん」

花蓮と郁人の中で結ばれた約束事。
あと二週間半もある教育実習期間に、その後待ってる期末テスト。そして夏休み。

今までのような甘えた生活を送っていると、自分のお尻がいくらあっても足りないだろう。郁人から嫌われたくないし、花蓮は気を引き締めていくしかないと、覚悟をきめたのであった。

花蓮には自立して考えられるような人間になってほしい。
自分も親から学費を出してもらってる立場ゆえ、考え方や行動には目的をはっきりさせるのが学生にとって大事なのだと、痛感することが多い。

「妹ができたみたいな気分だ」

郁人は優しく花蓮の頭を撫でた。

小夜時雨◆01「再会と再開」

「いってきまーす!」

玄関のドアから勢いよく出てきたのはセーラー服姿の少女。
衣替えで夏服に変わったばかりの制服は、目にするだけで爽やかな夏を感じられる。白地に薄い水色の襟のセーラー服は、近隣の女の子にとても人気のあるデザインをしている。
まだ梅雨前の朝七時半というのに、夏のような日差しは容赦なく街行く人々を照らしている。

「あっつーい!!」

ギラギラと暑い日差しに耐えられず、少女は大きな声で独り言を漏らしていた。
彼女の名前は秋月あきづき花蓮かれん。
ごくごく普通の高校二年生。高めに結ったポニーテールは、花蓮の明るくアクティブな性格を表しているように見える。

通学時間の電車は都会と反対方面のおかげで、ぎゅうぎゅう詰めになることはない。
高校の最寄り駅まであと一駅というところで、なぜか花蓮は電車を降りた。そのまま改札を出てまっすぐ、駅前にあるファミレスに入っていった。

「あっ花蓮!こっちこっち」
「摩耶〜おはよっ」

摩耶まやと呼ばれた少女は、花蓮と同じ制服を着ていたが、黒髪の花蓮とは違い明るめの巻髪と綺麗めメイクで、花蓮より大人びて見える。

「花蓮、今日どうする?月曜とかダルいし学校サボって遊びに行きたい〜!」
「モーニング食べてゆっくりしてから遅れて行こうよ。遅刻ならヘーキだけど、学校サボっちゃうとママに連絡いくし…」
「えー高校生にもなって、まだ親が怖いの?さすが箱入り娘!」

摩耶のからかいに花蓮は頬を膨らませながら、二人は悪だくみの相談に花咲かせていた。

──

その頃、花蓮たちの高校では教育実習生が朝礼で紹介されていた。
五條ごじょう郁人いくとと紹介された彼は、ゆうに180㎝はありそうな長身と整った見た目から、女子生徒から注目を集めている。

「五條です。担当教科は数学です。短い期間ですがよろしくお願いします。気軽に声掛けて下さいね」

ホームルームを担当するクラスでの二度目の挨拶は、郁人にとって再開と苛立ちが出迎えてくれた。

「は〜い!質問で〜す!もしかして先生は五條のお兄さんですか?」

「…!?」

生徒からの質問に郁人は、はっとした表情を浮かべた。

「そう五條隼人はやとは先生の弟だ。弟は堅物だけど、兄は冗談通じるタイプだぞ」
「いやいやいや、そんな風に言われたらビシっとやれなくなりますよ〜」

担任の本田の冗談で教室内は笑いに包まれた。
隼人がクラスにいることに言われるまで気づいてなかった郁人だが、この兄弟、クソがつくほど真面目な弟と悪ガキだった兄という正反対な性格をしており、担任の本田は五條兄弟をよく知っているため、実習中からかわれるのか…まいったなと二人とも少し困り顔になっていた。

笑いに包まれた教室を見渡すと、空席が2つあることがわかる。

「ありゃ、また秋月と工藤は遅刻か?誰か聞いてるヤツいるかぁ?」
「…秋月?」

思わず郁人は小さいながら声を出してしまった。
秋月という名字に悪い予感しかしなかったが、郁人は敢えてなにも知らないふりをしてやり過ごす。

「二人が登校してきたら、俺のところまで来るように伝えといてもらえるか?」

と生徒たちに伝えると、ゆるい感じで本田はホームルームをしめていった。

──

実習一日目を終え、郁人は満身創痍だった。
たった三週間の我慢で教員の資格がとれるなら、とってもいいかと比較的軽い気持ちで教育実習を始めてみたものの、いくら要領のいい郁人でも、思っていたより大変なようだ。

全校生徒を前にした自己紹介、ホームルームクラスでの自己紹介、職員室での自己紹介、ここまでは郁人の脳内シミュレーション通りに進めることができた。
想定外だったのは、女子高生からの質問攻めである。
大学の専攻が理学部数学科という、女にはあまり縁のない環境に慣れてしまっていたので、自分がこんなにモテると思っていなかったようだ。

「よう!クラス委員の五條クン、宿題は終わったのかね?」
「宿題は終わらせましたよ、五條センセ」

お堅い感じに見られがちだが、兄弟で過ごしているときはごく自然に郁人からのジョークに乗る隼人。兄のことは尊敬しているし、真面目すぎる隼人から見れば憧れの存在でもあった。そんな隼人のことを郁人は可愛い奴だと思っている。

「疲れた〜」

リビングのソファで読書をしている隼人の隣に、郁人はどしっと腰を落とす。

「お疲れ。俺も女子からの質問責めに巻き込まれて疲れたよ」
「それは悪かったな。女子高生って生き物はやっぱり恐ろしいわ」
「確かに面倒くさい」
「そうだ、花蓮ちゃん同じクラスだったんだな。今日は顔見てないけど」
「花蓮って…秋月?」
「そうそう、伊織いおりのとこの妹。いつもあんなにサボってるの?」
「あー…」

隼人は気まずそうに、郁人から視線をそらした。

「そうか、伊織があっちの大学に編入してから一年弱か…口うるさい兄貴がいなくなったから羽を伸ばしてるのかね」

口うるさい花蓮の兄、秋月伊織と郁人は同い年の幼馴染で親友である。
一年前の夏、伊織はアメリカの大学に編入したので、少し疎遠になり郁人は寂しさを感じていた。

──

家族も寝静まった夜中の二時。
花蓮は学校には遅刻していったにも関わらず、授業も休み時間も摩耶と話す以外は机で寝て過ごすのが日課なので、こんな時間になっても眠くならず、夜中は自分だけの時間だと思っている。

ピッコーン

「あっお兄ちゃんからメールだ!」

花蓮は一ヶ月ぶりの兄からのメールにウキウキしながらスマホの画面を覗く。
メールを読み進めている間、どんどん顔が赤くなっていくのが花蓮自身にも感じることが出来る。

「…えっ…ウソ……また家庭教師頼んだの?」

大好きな兄から来た久しぶりのメールは、今月末から夏休みの間、家庭教師をつけるという決定事項だけが書いてあった。
成績や生活指導のことで学校から親に連絡が来て、兄に相談したのだろうか。大好きなお兄ちゃんであり、怖いお兄ちゃんでもあった伊織に、自分の悪行をどこまで知られているのだろうと、花蓮は気が気ではなかった。

『夏休み、一緒にバイトできなくなるかも(>ω<)』

夏休みは摩耶とバイトをして遊ぶつもりだったので、予定外の展開に花蓮は浮かない顔でメールを送る。

『えっどうしたの?なんかあった?』

摩耶のレスポンスの早さは、さすが女子高生と言わざるを得ない。

『夏休み、家庭教師来ることになったの…しかもお兄ちゃんの友達で、高校受験のときも教えてくれてた人だから、すぐお兄ちゃんに連絡いくしさぼれないと思う』

『お兄さん、日本にいないんでしょ?そんなに気にすることないじゃん?』

『うーん…お兄ちゃんにも嫌われたくないし、家庭教師の人にも嫌われたくないから』

『ははーん。さては家庭教師の先生はイケメンだな!』

『郁人くんって言うんだけど、すごく優しいし面白いんだよ』

『イケメンで思い出したけど、そういえば今日から来た教育実習生、イケメンらしいよ。遅刻したからうちらは会えなかったけど』

『マジで?楽しみ!明日は朝から学校行く!!』

イケメンの力は強いらしく、明日は朝から真面目に登校する約束をして、花蓮と摩耶は眠りについた。


──


朝のホームルーム前、教室にカバンを置いた花蓮と摩耶はその足で職員室に直行した。

「秋月、工藤、今日はどうした?遅刻じゃないなんて久々じゃないか」

職員室をのぞくと、担任の本田が二人を見つけて声を掛けてきた。
花蓮も摩耶も職員室中をキョロキョロと見回している。

「たまには私達もちゃんとしますよ」
と、摩耶が適当な相槌を打つ。

「あ、お前らも教育実習生狙いか!」
二人のたくらみは、すぐ本田にばれてしまった。
「お〜い、五條先生」

…五條…先生……
花蓮の顔が血の気を引いたように青くなっていく。
本田から呼ばれた郁人は、花蓮と摩耶の元へ近づいて来る。
あーどうしよう。どんな顔で話せばいいの?
と花蓮は悩んでいるのもつかの間、目の前に郁人が現れた。

「はい、本田先生。なんでしょう?」
「こいつらがな、五條先生を見に来たから挨拶させておいたほうがいいかと思ってな。昨日、遅刻してた遅刻常習犯の秋月と工藤だ。こっちは五條先生」

本田と郁人の会話がどんどん遠くなっていく。
花蓮はその場で崩れ落ちてしまった。
郁人は床に倒れる前に、とっさに花蓮を支え軽々と抱き上げた。
その一連のスマートな動作に、周囲にいた女性から歓声がわきあがる。

キーンコーンカーンコーン

「五條先生、悪いんだがそのまま秋月を保健室まで連れて行ってもらえんか?工藤は教室に戻って朝のホームルームな」

郁人は、わかりましたと本田に返事をして、花蓮を保健室まで運び始めた。
いわゆるお姫様抱っこで運ばれている花蓮は、少し意識を取り戻してきた。

「…ぅん…郁人くん」
「保健室まで運んでやるから、黙っとけ」
「…はい…」

保健室は無人だった。ゆっくりベッドに寝かされた花蓮は、はっきりしていく意識で困惑していた。

「秋月さん、朝ごはんちゃんと食べてる?」
「…少しだけ、食べてきました」
「そう」

ベッドの脇に置いてある椅子に腰かける郁人。
郁人が近くにいることで胸が高鳴って、まともに目を開けて話せない花蓮を眺めながら、郁人は笑っていた。

「倒れたときは顔が真っ青だったのに、今は真っ赤だぞ」
「そ、そ、そ、そんなことないです!」

郁人がいるほうとは逆に顔をそむけた。

「へーそんな態度とれるんだ。倒れたのもサボりか?」
「いや、ちがうもん!」
「そう…」

いつもは面白おかしく話す郁人なのに、淡々と話す今日はものすごく突き放されて感じてしまう。

「も、もう大丈夫だから、郁人くん戻っていいよ」
「派手に倒れたんだ。保健室の先生が戻るまで心配だから付き添ってやるよ。まあ、花蓮ちゃんは俺のこと追い出したいんだろうけど、それは無理」

怒ってる…?
花蓮は冷たい態度の郁人に、兄の伊織を重ねて見てしまう。

「…んなさい」

花蓮は小さな声でつぶやいた。

「伊織、心配してたぞ」
「だよね。怒ってた?」
「そりゃあ、もう。教育実習中だって言ってるのに、夜中二時間も通話に付き合わされるレベル」
「…ごめんなさい」
「伊織のやつ、夏休みのインターンの予定蹴って日本に帰るって言い出して、止めるの大変だったんだからな。花蓮ちゃんとこの親は伊織に心配させたくないから、最近の生活態度の悪さは言ってなかったみたい」
「パパもママも甘いから、つい…」

伊織が留学してからというもの、親は花蓮に軽く注意する程度で、口うるさい兄は若い花蓮には必要な存在であった。

「遅刻はしょっちゅうで授業中は寝てる問題児二人組、有名みたいだな」
「…はい…」
「まだ夏休み前だけど家庭教師の件、今日から毎日、夕飯食べ終えたら俺の部屋に来なさい。まず宿題やるのと、毎日課題こなす習慣を思いだそう」
「郁人くんの部屋で勉強するの?」
「俺も教育実習用の作業があるから、受験のときみたいに教えるのはさすがにキツい。俺の部屋やだ?」
「いやっ全然っそんなことないっ」

話しているうちに郁人の顔を見ていると、突然恥ずかしくなったのか花蓮の声が上ずってしまう。
わかりやすい反応を示す花蓮に思わず口元がゆるむ郁人。

「じゃあ夜、うちに来いよ。もし、サボったら…」
「サボんないし!」
「宿題持ってこいよ」
「はーい」

花蓮の細く柔らかい髪にそっと触れ、耳元で囁く。

「まだ調子悪そうだから、ちょっと寝てろ。顔が真っ赤だ」
「!」

言葉にならない言葉が出た花蓮は布団に潜り込んでしまった。
それと同時に、保健室の扉が開く。

「二年A組の秋月が倒れちゃっいまして、運んで寝かせてるので後宜しくお願いします」

養護教諭に花蓮を任せて、そのまま郁人は保健室をあとにした。


──


花蓮は朝からずっとドキドキが止められない状態が続いている。
小さな頃から片思いをしている郁人への気持ちは、高校に入った今も変わってはいなかった。
郁人の部屋なんて入るのは何年ぶりなんだろう。どんな部屋なのかなと気持ちが盛り上がって、まるでデートでもするんじゃないかというくらい、服やカバンが部屋中に広げられていた。
よし、これだと決めたのは薄ピンクのレースの可愛いワンピース。宿題するだけなのに一旦お風呂まで入っちゃうくらい花蓮は浮足立っていた。


「いらっしゃい、まあ座って」

数年ぶりに入った郁人の部屋は、壁一面がクローゼットになっており、余計なものは見えないところに収納してあるのか、とてもシンプルな部屋だった。

「おじゃましまーす」

花蓮は部屋の中を見回しながら、ゆっくりとソファーに座る。

「さっそく宿題をみてあげたいんだけど、明日の授業の準備もやらなきゃいけないから、今日一番話したい、大事な話を先にするね」
「うん」

いつも穏やかな郁人の表情が一気に険しくなり、部屋の空気が変わった。花蓮にも緊張が伝わっている。

「俺ね、結構怒ってるの。なんでかわかる?」
「…学校サボったり真面目にしてないから?」
「まず、伊織を怒らせたこと」
「それは、郁人くんがお兄ちゃんに言いつけたんじゃん!」
「は?花蓮ちゃんは高校生だろ?高校生は学校行って勉強するために学生してるんだよね?」
「…はい」

思わず逆ギレしてしまった花蓮はその場で後悔していたが、これ以上郁人を怒らせないようにするには、自分の膝の上に置いた手を見つめて話を聞くしかなかった。

「高校に行きたいから花蓮ちゃんの希望で、俺も勉強教えたし、伊織にも手伝ってもらってたよな?」
「…はい」
「今の生活態度、俺達に悪いと思わないの?」
「…思います」
「親御さんにも心配かけてるよな?」
「…はい」
「じゃあこれからどうするの?」
「学校ちゃんと行く…ごめんなさい」

下を向いて目も合わせない花蓮に苛ついたのか、郁人は急に花蓮に近づき手で顎を持ち上げ、視線を無理やりあげさせた。

「自分の手に謝ってんの?今、誰と話してるの?」
「い、郁人くんと話してます」
「じゃあ俺を見て話せ」
「…はい」

花蓮の目は涙で潤んでいた。
大好きな兄の伊織と片思いしている郁人の二人を怒らせたことをものすごく後悔している。

「生活態度改めるんだな?」
「はい」
「よし」

やっと花蓮の顎をつかんでいた手がはなされた。

「伊織が日本に帰るって聞かないから相談したんだけど、今日から花蓮ちゃんに何かあったら、俺が伊織の代わりを任されたから」
「え!?」
「伊織の代わりに、俺が花蓮ちゃんのお仕置きするってこと」
「はい?」
「お尻叩きのお仕置きな」
「ええええええ!!!!」

確かに、花蓮は留学する直前まで何かやらかしたときには、伊織からお尻を叩かれていた。
両親が二人共非常にマイペースというか能天気で、花蓮が世間知らずの甘えん坊に育っているのを伊織は心から心配しているのだ。
秋月家の家長である父親は、今は伊織と一緒にアメリカで生活しているが、もうここ数年ずっと単身でアメリカに居住していた。輸入業なので日本との行き来はあるが、子どもの生活はすべて母親任せにしている。
母親は子どもを甘やかすのが大好きで、花蓮とは友達のような関係になってしまっている。
伊織が離れてしまった今、花蓮はやりたい放題になるのは仕方のないことだったのかもしれない。

花蓮は頭が真っ白になっていた。
恋心を抱いている相手が自分をお仕置きすると言っているのだ、17歳の乙女からしたら大問題だろう。

「花蓮ちゃん、俺の話聞こえてた?」
「…うん…ほんとに郁人くんがするの?」
「ああ。伊織と決めたからな」
「…………やだ」

潤んでいた花蓮の目から涙が一粒、二粒と溢れ出てきた。

「泣いてもダメだよ。俺のこと嫌いになってもいいから、伊織の言うことだと思って聞いて」
「好きだもん!郁人くんのこと好きだから恥ずかしいの!嫌なの!!」

花蓮は我慢できず、泣きながら郁人に抱きついた。
泣いている花蓮の髪頭をゆっくり撫でている郁人だが、幼い花蓮に好きだと何度か言われたことをあったし、朝の保健室でのわかりやすい反応がまだ自分に気があることを認識できて、内心ドキドキしていた。

─明日の実習の準備もあるし、この件はまた後に回したい。

本能と理性で相談したところ、これが郁人の結論だった。

「花蓮ちゃん、好きだって言ってくれたのは嬉しいよ。けど泣いても恥ずかしくてもお仕置きはするからね」
「やだぁ…恥ずかしいし痛いのもやだぁ」

抱きついていた花蓮を引き離し、冷静な表情で顔を覗き込む郁人。

「悪いのは誰?」
「…私です」
「だよね」

郁人はソファーに腰掛けて、花蓮の手首を引いて自分の膝の上に腹ばいにさせた。

「いつも何回くらい叩かれるの?」
「10回くら…」

バシッ!

と、花蓮が質問に答えきる前に一発目が打たれた。

「嘘までつくなんて余裕あるんだな。反省するまでお尻叩くから、覚悟しなさい」
「あっ嘘つきました!ごめんなさい!」
「遅いっ!」

バシッ!バシッ!バシッ!バシッ!

スナップのきかせた平手を連発する。
郁人は昨晩の相談時に、普段のお仕置きの流れや内容を伊織から聞いていたので、花蓮が反省しているかどうかテストをしてみたのだ。
ワンピース越しに叩かれてるとは言え、中高バレーボール部で鍛えていた平手はさすがに痛い。
郁人の平手がお尻に当たるたびに、花蓮は足をバタバタさせて泣きじゃくっていた。
と、叩く手が止まった。
20発は叩かれたのだろうか、久しぶりのお尻叩きは花蓮にとって心にも身体にもダメージを与えているようで、顔も目も真っ赤になっている。

「花蓮ちゃん、俺ね、伊織から全部聞いたの。お兄ちゃんからお仕置き受けるときの話ね。すぐ嘘泣きしてお尻叩きを終わらせようとするから、俺がいいと思うところまできっちりお仕置きするって伊織のルール、俺も使わせてもらうわ」
「嘘泣きなんかしてないし…もうやだ。反省してるから!」

郁人の恐ろしい発言に、花蓮は膝から降りてお尻を抑えながら反論した。だが、浅い考えで甘えている花蓮が、兄と郁人の決定に反論しても勝てるわけもなく。

「膝に戻って」

冷淡な声色で花蓮を呼ぶと、花蓮は今にも泣きそうな表情を浮かべながら、ゆっくりと郁人の膝に戻っていった。

「すぐに反省するいい子だったらこれで許そうと思ってたんだけど、悪い子にはこんな軽いお仕置きじゃ済ませられないな。いつも伊織からお仕置き受けるときみたいに、スカートめくって下着おろしなさい」
「…やだ」
「花蓮ちゃん」
「……」
「はあ…」

一連のやり取りや会話で積もっていたストレスが爆発したかのように、郁人は強引に花蓮のワンピースの裾をまくりあげ、下着を膝の下まで一気におろし、右手を高く振り上げ叩き始めた。

バシッ!バシッ!バシッ!
「…ぁぁ…ごめんなさい」

本当はさっきのように足をばたつかせて逃げたいところだが、少しでも足を動かすと、花蓮の大事な部分が見えてしまいそうで、花蓮は一心不乱に郁人の平手を耐えていた。

「お尻を」バシッ!
「まる出しで」バシッ!
「叩いたほうが」バシッ!
「いい子で」バシッ!
「お仕置き」バシッ!
「受けられるんだな」バシッ!

「…ふぇぇ…ぐすっ…」

下着をおろして叩かれ始めてから50発は過ぎたのだろうか、花蓮のむき出しのお尻はピンク色に染まってきていた。
恥ずかしさと痛みで、花蓮はただただ泣きじゃくっていた。
何事にも最初が肝心だと思っている郁人は、泣いている花蓮に少し気が引けるものの心を鬼にして、可愛いお尻をピンクから真っ赤にするため平手を打ち続けている。

「花蓮ちゃんの宿題も終わらせなきゃいけないし、俺も明日の準備があるから、あと50回で今日は終わりにしよう」
「50回!?もうすごく反省したよ!終わりにしてほしい…」
「50回だと足りない?じゃあ追加ね。70回叩くから、自分で数を数えなさい」

冷たく決断する郁人の恐ろしさを身を持って体感した花蓮は、大人しく「はい」と答えるしかできなかった。

バシッ!バシッ!バシッ!バシッ!バシッ!

「いちっ…にぃ…っさん…よんっ…ごぉ」

花蓮は懸命に数を数えている。
伊織が郁人に話していた『いつものお仕置き』は、一年ぶりにお尻を叩かれた花蓮にとっては、かなり厳しい内容に感じていた。

「ろくじゅうはち…ろくじゅうきゅう…ななじゅぅぅぅ」

「はい、おしまい」

花蓮のお尻はまんべんなく赤に染まっていた。
はずみとはいえ、片思いの相手に自分の気持ちを伝えた直後に、その相手からむき出しのお尻を叩かれたのだ。真っ赤な顔に真っ赤なお尻に、花蓮の頭は混乱してしまっている。

「花蓮ちゃんお仕置き、終わったよ」
「…ふぇぇ」

腹ばいのままの花蓮をゆっくり膝からおろし、ソファーに腰掛けさせた。

「……お尻痛い」
「そりゃお仕置きでお尻叩かれたんだろ?痛いに決まってる」
「お兄ちゃんのお仕置きより痛かった…」

下着すら戻さずに、頬を膨らませて呟いている花蓮の姿を見て、郁人は吹き出してしまった。

「俺の妹じゃなくてよかったな。もし妹にあんなに嘘つかれたり、ごねてワガママ言われたら、これくらいじゃ済まないだろうな」
「もしかして隼人くんにもお仕置きしたりするの?」
「隼人にはやらないよ。俺が中学生のころに一回怒ったことはあるけど、ほらあいつ、いい子ちゃんだから」

お尻をさすりながら頬を膨らませている花蓮と、真面目人間な弟の隼人が同い年だというギャップにも笑えてきた郁人の表情は、いつもの面白くて優しい顔に戻ってきた。

「…郁人くん。ごめんなさい。赤くなってる」

郁人の右手の掌が、真っ赤に腫れているのを見て、とっさに花蓮は郁人の右手を握った。

「俺の手はいいから、先にパンツ穿こう。それともまだ叩かれたいの?」

その言葉で花蓮の顔は、叩かれたお尻や郁人の掌より真っ赤になり、すごい早さで下着を穿いてワンピースの裾を戻した。

「じゃあ宿題出して。俺も作業始めるけど、わかんないとこあったら聞いていいから」
「あ、あの!」
「ん、どうした?」
「さっきのこと…」

花蓮がもじもじしながら言い出しているので、さっき告白をした件だと感じた郁人は、彼女を傷つけないように軽めに答えた。

「さっき妹だったら今より厳しくお仕置きするかもって言ったけど、彼女にはきちんとした常識を求めるから、もっともっと厳しくお仕置きすると思うよ」
「彼女にもお仕置きするの?」
「今は彼女いないし、今までお仕置きしたことなんてないけどさ、ただの例え話だよ」
「そっかぁ…」
「もっともっと厳しいお仕置きで今からやり直す?」
「あ、いや、今日はいいです。宿題します」

郁人からの信じられない提案に、花蓮は目をまん丸くして拒否をした。好きだし付き合いたいけど、お尻はじんじん痛くて明日の授業サボりたいな、なんて思ってるくらい厳しいお仕置きだったのに、それよりもっともっと厳しいお仕置きなんて、恐ろしくて想像つかないよ。と花蓮は思った。

そんな単純で素直な花蓮を可愛く思っているものの、もう少し大人になってほしいと郁人は考えていた。

二人の中で新たな関係が築き始められたと同時に、互いに新たな目標が生まれた瞬間であった。